問題の矮小化 [政教分離]
小泉さん、社民党の議員さんが中国政府や韓国政府のまるで「顔色」をうかがうような質問をしたのに対し「国内の施設に行くかどうかは、外国の首脳に言われる問題ではない」と言って答えたそうです。
先日(1月25日)の共産党も今日の社民党も、どうも靖国神社への参拝を外交上の小さな問題にしたがってるふうにしか思えないような代表質問ばかりするのは非常に問題です。
靖国神社の問題が「Aクラス戦犯をクニが敬うべきかどうか?」という問題で終始するものであるなら、社民党や共産党がやっている代表質問にはまったく意味がないとさえ言えると思います。またそうでなくとも政教分離の問題を問題にしない質問にはまったく意味がないと思います。
それとは別の問題になりますが、靖国神社への参拝には政教分離の問題が常に絡むので、小泉さんの「国内の施設に行くかどうかは、外国の首脳に言われる問題ではない」という回答は、ちょっとおかしいと思います。
Q.それはどういうことですか?
A.靖国神社は「国内」の単なる「施設」ではないということです。再生産のための「装置」であり歴とした宗教的な「施設」であるということです。自分がそれらの事実を無視したいから、あるいはそれらの事実を知らないからと言って、それらの事実を無視した行動を取ったりそれらの事実に対して無知な行動を取ったりすればそれらの事実が消える、というわけでは全然ないのです。
(ああ。政教分離がからむとどうも説教くさくなっていけない。「ムチマロ」という人がいましたね、昔。ムチムチだったのか無知無知だったのか、いやどっちでもないか。)
小泉さんの答弁からは彼の中に「火のないところに火焔瓶を投げ込まれた」的な憤慨のある旨が感じられるわけですが、この問題に関して火焔瓶はあり得ないし発煙筒さえもあり得ません。件の(九段下の)神社が単なる「施設」であるなら外交問題にはならないし、政教分離の問題も絡みません。しかしあの神社は単なる施設ではないのです。参拝者にある特定の礼拝方法を求めている時点で宗教施設です。
神社の「柏手」は本願寺派やその他の仏教がおこなっている「合掌」と同様に宗教行為です。さらに、ある時代にある目的をもって作られた特殊な現象を礼拝の対象としているという点では特殊ですが、それでも靖国神社は歴とした宗教施設です。
(それにしても「合掌」を「合唱」と誤記する場合の何と多いことか。)
靖国神社の場合、さらに別の問題が絡みます。それは「再生産装置」というコトバで十全に象徴的に説明される問題です。
1.誰かがある特定の「理由」で死ぬ。
2.別の誰かも死ぬが、その「理由」は1.とは違う。
3.1.と2.が続いていく。
4.やがて、誰かがそれらの「理由」を分類し、特定の「理由」で亡くなった人のことだけを讃える施設を作り、その「理由」を明確化する。
5.その「理由」で死ぬことが明確に奨励される。
これが起こっているのが現在の靖国神社です。だから「再生産装置」なのです。わたしがいま疑っているのは、イラクで誰かがある特定の「理由」で死んでしまうまでアレが続くのではないか、ということです。彼らは無し崩しの実力行使のためにソレを待っているのではないか?
この世には時間が解決する問題と、時間が解決できない問題とがあります。当時は大東亜戦争と呼ばれ、現在では太平洋戦争と呼ばれている、わたしは常にカッコ付きの「大東亜戦争」、またはアジア・太平洋戦争と呼ぶべきではないかと思っている戦争が戦われていた当時と現在とでは、まったく変わってしまった価値観がある。そういう価値観の方が多いかも知れない。
しかし、そうじゃなく、当時も今も変わらない価値観もある。
だからと言って、「変わっていない」というただそれだけの事実を以てそれをそのまま「良い」と同義と勘違いして良いってわけではない。
政教分離のほかには、靖国神社にはそういう問題があります。
政教分離の問題と特殊再生産装置。それを単なる外交問題に矮小化するための質疑応答が永田町で行われている‥‥。そんなことはないんだろうけれど、わたしには彼らがグルであるように見えます。
国会で問題にされないからと言ってその問題が存在しないってわけではありません。しかし、わたしたちが送り出した200人以上の代議士の中には、政教分離の問題がわかって、それを国会で質問できる立場にある人が一人もいないってことなのでしょう。
ぶつぶつぶつ‥‥。なまんだぶつぶつぶつ‥‥。
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