打本顕真さん、ご往生。 [記念日系]
打本顕真さんがご往生なさったそうです。7月15日のご往生だそうです。
さみしいです。
お浄土で遇えるとか、なんまんだぶつになって働いてくださっているとか、いろいろな事実やいろいろな味わいがありますが、今いちばんしっくりくる言葉はわたしの場合「さみしいです。」です。
いろんな活動をなさっていた方なので、実際にお会いする前から名前にはいろんなところで接していました。いちばん最初に触れたのは、たぶん父母に来る年賀状でした。毎年すごく考えさせられる、それでいてきちんと文学的なところもおさえた感じの詩が掲載されていました。
その後、打本さんを打本さんとして意識したのは、『共にあゆむ』の42号の内容が、本願寺の公式サイトに掲載されているのを読んだときでした。(今は本願寺のサイトの中にそのファイルはないようですが。)
わたしが脳死臓器移植について考え始めたごく最初期は、事実を把握しないままイメージだけで考えていましたから、当然トナーカードは「1」に○でした。
「なぜ提供できないって考える人がいるんだろう?そこがわからん!」
半ば憤りつつ、「提供できない」という人たちを粉砕すべく、いろいろ調べ始める。
とは言っても当時はリアル「本」でしかそういうことを考えるヒントをほとんど得られなかった。
最初にとりあえず立花隆の『脳死』三部作を読んで、今までの考え方がまったく的はずれで非現実の世界のファンタジーをもとにして考えていたことを知る。そして、「まず科学的なところを把握してから考えないと、「脳」と「死」の漢字だけで考えていたら足下をすくわれる」と思いました。
それと前後して龍谷大学の院生になり、大きく「真宗と現代」について研究するという方向を決める。信楽論文や大峯論文に触れ、あるいはその前にか、ともかくその前後に森岡正博の『脳死の人』のいちばん最初のver.を読み、決定的な影響を受ける。
『生命学に何ができるか』を読み、ミーハーなのでファンになる。ファンになった以上、もう一回、真宗的な立場から、かつ、自分を棚上げにしない森岡「生命学」的なところから脳死臓器移植の問題を考えてみようとする。もちろん科学的なところもおさえてかからないとダメだ、という感じで、浄土真宗的なところを考えようとする。
で、その前後、院も博士に進めた1999年に、GatewayのPCという巨大な外部記憶装置を手に入れる。ならびに他者の外部記憶ともリンクができるようになる。
で、その前後、いろんな真宗者のサイトを発見する。本願寺の公式サイト(http://www.hongwanji.or.jp/)もある。「寺子屋ネット」(http://www.terakoya.com/)もすごい。「坊さんの小箱」(http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/)というのもある。
上記その他、いろんなところに少しずつ、浄土真宗的な立場からの臓器移植をめぐる考察等が置いてある。
読む。物足りない。読む。少し満足。読む。やはり物足りない。その繰り返し、というか、
‥‥何か決定的なモノが欠けている気がする。でも、何が足りないかはわからない。
で、気になる見解を見つけて、共感できそうな書き方だったらメールを出したりしながら考える。ともに考える。
じゃあ真宗のお坊さん方は個人としてどんなふうに考えているんだろう?
悩んでるんだろうか?
本願寺派が何か公式見解を出した方が良いと思っているだろうか?
正しい知識を持っているだろうか?
脳死といわゆる植物状態との区別を知っているだろうか?
この問題についてどんなふうに考えているんだろう?
ぼくはどう考えるべきなんだろう?
わからない。わからない。と言っていたら、「アンケート採ろうよ」と誘われる。質問事項をもらい、ひな形をとりあえず作ってみる。趣意書というのも一緒に考える。
流れで「フォーム」というのを書いてみた。生涯において初めて作るhtmlファイルがWeb上アンケート。テキストのタグ打ちで、全然問題なくWeb上で採るアンケート用紙ができてしまった。
それを公開して、いま考えればまるっきり「マルチポスト」的な、でも絶対数が少なかったからまるっきり問題なかったとも言えるような案内方法を用いて、なんとかかんとかアンケートに答えてもらう浄土真宗本願寺派のお坊さんをネット上で100以上集めることに成功。データを集め、いちおう整理し、ネット上に公開するとともに、印度仏教学研究学会や日本宗教学会、龍大の学会などで、その内容と分析結果のようなものを発表する。
相前後して自分でもサイトを作る。「ビルダー」の使い方がよくわからないので「フォーム」同様にタグをちきちき打って構築。友人らから「すごいすごい」と言われその気になって、論文その他もHTML化して公開、そのとき「俺いちおう研究者だから名前を売るなら実名でサイトやらんといけんよなあ」と思い、まあ実際その方が名前を売るには良いんだろうけど、その出発点が、何か自分にたいした内容の論文が書けるかも知れないという変な勘違いによるというのはまあおいといて。公開しつつ後悔しつつ。
‥‥‥‥
という段階のどこか最初期のあたりで、本願寺から出ている『共にあゆむ』というシリーズの第42号、脳死臓器移植特集がhtml化されたものが、本願寺の公式サイト内に掲載されていたものを読む。
すごく、自分の考えと近いものを感じる。筆者は‥‥ええと。
打本顕真さん。えっ?北海道の方?
「わー! 本願寺派の中でやっと似たような考え方の人をみつけた! しかも北海道のお坊さんだ!!」
と思い(えらそうですよね。でもわたし基本すごく勘違い野郎なので当時本当にこう思ったのですよ)、すごく嬉しくなる。
あまりに嬉しかったので、どこかから何かのツテでアドレスを知り、Eメールだったかリアルメール(郵便のこと)だったかで打本さんにアプローチを試みる。あるいは浄土真宗本願寺派の僧侶向け臓器移植アンケートを送付したときに同封か同送したのだったかもしれません。とにかく「同じような考え方の方を見つけて嬉しい」とか「宗教的に考えるのももちろん大事だけどその前に科学的なところをおさえてかからないとまずいと思う」とか、そういうことを書いて送ったような気がする。少なくとも、ずっと後になって打本さんの前で「臓器移植」がらみの法話を正「布教使」となってから公式な場面で初めてさせていただいたとき、そのような手紙をわたしが出したことを打本さんは覚えていてくださって、すごく感激しました。
わたしはわたしで「打本さんが北海道でこういうことを書いているってことは、たぶん北海道でもやろうと思えばいくらでも研究できるってことなんだ。それもこんなにまともに。」と思いました。その後、北塔和上がほとんど北海道で論文を仕上げて司教になられていったということも聞く。やっぱり場所はあんまり関係ないんだ、秀でる人にとっては。
当時のわたしには、北海道の真宗僧侶が臓器移植法について今も考えているということは、とてもすごいことでした。嬉しかった。
打本さんは打本さんで、臓器移植をめぐって、宗門の盛り上がりが一時期より明らかに下火になっているし、北海道でも正直あんまり盛り上がってるとは言い難いような状況下で、北海道出身の若い院生が今も龍大で真宗の立場からの臓器移植の研究をしているようだ、と思われたそうです。「あの当時のあの手紙はすごく嬉しかったんです」とおっしゃってくれました。
その、「共にあゆむ」42号の打本さんのスタイルは、言葉はまったくとんがってないし易しい、内容はかなり突っ込んだことを書いている、というものだったと思います。
ともかく、打本さんの前で臓器移植のご法話させていただいたとき、「打本さんの『共にあゆむ』42号を読んでものすごく勇気をもらったんです」と、お伝えすることができました。
あれは去年の10月でした。だから、もうすでにお体はだいぶしんどいようでした。でもご法話はちゃんと聞いてくださって、ちゃんと言葉をかけてくださいました。のみならず、その後の懇親会というか慰労会というかにも来てくださって、いろいろ話してくださいました。
なんといいますか。自分のわかる範囲だけで語るからこんな薄っぺらな打本さん像になってしまいます。どうもすみません。
多事にアンテナの張られた方でしたから、打本さんにはもっといろんな面があるんだと思います。いろんな方の語られる思い出を聞いたり読んだりしても、ほんとにいろんな角度から、いろんな思いから、いろんな打本さん像が立ち上がってきて、すごいなあと思っています。
とにかく、
ありがとうございました。
さみしいです。
この世は「亡くなった人」と「生きてる人」の対比で出来てるわけではないと思います。生きてる人も「いずれ亡くなる人」。遅いか早いかの違いしかなくて、そんな違いは微々たるもの。おくりびとふうに言うと「あなたもわたしも、おくりびと・おくられびと」、蓮如さんふうに言うと「われや先ひとや先」、それだけ。
理屈・理念・事実としては、それだけ。
でも、そうは言っても、わたし理屈やロジックだけで動いてるわけじゃないから、やっぱり、さみしいです。
ただ、さみしいだけじゃない、何かこう、しっくり来る感じの「何か」もきっちりいただいてる感じがします。浄土真宗で良かったと思う。でも、浄土真宗だから寂しくないかって言うと、そんなことはないです。寂しいのは寂しい。あたりまえだと思います。
何度も言いますが、さみしいのはさみしいです。ウソはつけません。
ありがとうございました。お世話になりました。さみしいです。
では。
さみしいです。
お浄土で遇えるとか、なんまんだぶつになって働いてくださっているとか、いろいろな事実やいろいろな味わいがありますが、今いちばんしっくりくる言葉はわたしの場合「さみしいです。」です。
いろんな活動をなさっていた方なので、実際にお会いする前から名前にはいろんなところで接していました。いちばん最初に触れたのは、たぶん父母に来る年賀状でした。毎年すごく考えさせられる、それでいてきちんと文学的なところもおさえた感じの詩が掲載されていました。
その後、打本さんを打本さんとして意識したのは、『共にあゆむ』の42号の内容が、本願寺の公式サイトに掲載されているのを読んだときでした。(今は本願寺のサイトの中にそのファイルはないようですが。)
わたしが脳死臓器移植について考え始めたごく最初期は、事実を把握しないままイメージだけで考えていましたから、当然トナーカードは「1」に○でした。
「なぜ提供できないって考える人がいるんだろう?そこがわからん!」
半ば憤りつつ、「提供できない」という人たちを粉砕すべく、いろいろ調べ始める。
とは言っても当時はリアル「本」でしかそういうことを考えるヒントをほとんど得られなかった。
最初にとりあえず立花隆の『脳死』三部作を読んで、今までの考え方がまったく的はずれで非現実の世界のファンタジーをもとにして考えていたことを知る。そして、「まず科学的なところを把握してから考えないと、「脳」と「死」の漢字だけで考えていたら足下をすくわれる」と思いました。
それと前後して龍谷大学の院生になり、大きく「真宗と現代」について研究するという方向を決める。信楽論文や大峯論文に触れ、あるいはその前にか、ともかくその前後に森岡正博の『脳死の人』のいちばん最初のver.を読み、決定的な影響を受ける。
『生命学に何ができるか』を読み、ミーハーなのでファンになる。ファンになった以上、もう一回、真宗的な立場から、かつ、自分を棚上げにしない森岡「生命学」的なところから脳死臓器移植の問題を考えてみようとする。もちろん科学的なところもおさえてかからないとダメだ、という感じで、浄土真宗的なところを考えようとする。
で、その前後、院も博士に進めた1999年に、GatewayのPCという巨大な外部記憶装置を手に入れる。ならびに他者の外部記憶ともリンクができるようになる。
で、その前後、いろんな真宗者のサイトを発見する。本願寺の公式サイト(http://www.hongwanji.or.jp/)もある。「寺子屋ネット」(http://www.terakoya.com/)もすごい。「坊さんの小箱」(http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/)というのもある。
上記その他、いろんなところに少しずつ、浄土真宗的な立場からの臓器移植をめぐる考察等が置いてある。
読む。物足りない。読む。少し満足。読む。やはり物足りない。その繰り返し、というか、
‥‥何か決定的なモノが欠けている気がする。でも、何が足りないかはわからない。
で、気になる見解を見つけて、共感できそうな書き方だったらメールを出したりしながら考える。ともに考える。
じゃあ真宗のお坊さん方は個人としてどんなふうに考えているんだろう?
悩んでるんだろうか?
本願寺派が何か公式見解を出した方が良いと思っているだろうか?
正しい知識を持っているだろうか?
脳死といわゆる植物状態との区別を知っているだろうか?
この問題についてどんなふうに考えているんだろう?
ぼくはどう考えるべきなんだろう?
わからない。わからない。と言っていたら、「アンケート採ろうよ」と誘われる。質問事項をもらい、ひな形をとりあえず作ってみる。趣意書というのも一緒に考える。
流れで「フォーム」というのを書いてみた。生涯において初めて作るhtmlファイルがWeb上アンケート。テキストのタグ打ちで、全然問題なくWeb上で採るアンケート用紙ができてしまった。
それを公開して、いま考えればまるっきり「マルチポスト」的な、でも絶対数が少なかったからまるっきり問題なかったとも言えるような案内方法を用いて、なんとかかんとかアンケートに答えてもらう浄土真宗本願寺派のお坊さんをネット上で100以上集めることに成功。データを集め、いちおう整理し、ネット上に公開するとともに、印度仏教学研究学会や日本宗教学会、龍大の学会などで、その内容と分析結果のようなものを発表する。
相前後して自分でもサイトを作る。「ビルダー」の使い方がよくわからないので「フォーム」同様にタグをちきちき打って構築。友人らから「すごいすごい」と言われその気になって、論文その他もHTML化して公開、そのとき「俺いちおう研究者だから名前を売るなら実名でサイトやらんといけんよなあ」と思い、まあ実際その方が名前を売るには良いんだろうけど、その出発点が、何か自分にたいした内容の論文が書けるかも知れないという変な勘違いによるというのはまあおいといて。公開しつつ後悔しつつ。
‥‥‥‥
という段階のどこか最初期のあたりで、本願寺から出ている『共にあゆむ』というシリーズの第42号、脳死臓器移植特集がhtml化されたものが、本願寺の公式サイト内に掲載されていたものを読む。
すごく、自分の考えと近いものを感じる。筆者は‥‥ええと。
打本顕真さん。えっ?北海道の方?
「わー! 本願寺派の中でやっと似たような考え方の人をみつけた! しかも北海道のお坊さんだ!!」
と思い(えらそうですよね。でもわたし基本すごく勘違い野郎なので当時本当にこう思ったのですよ)、すごく嬉しくなる。
あまりに嬉しかったので、どこかから何かのツテでアドレスを知り、Eメールだったかリアルメール(郵便のこと)だったかで打本さんにアプローチを試みる。あるいは浄土真宗本願寺派の僧侶向け臓器移植アンケートを送付したときに同封か同送したのだったかもしれません。とにかく「同じような考え方の方を見つけて嬉しい」とか「宗教的に考えるのももちろん大事だけどその前に科学的なところをおさえてかからないとまずいと思う」とか、そういうことを書いて送ったような気がする。少なくとも、ずっと後になって打本さんの前で「臓器移植」がらみの法話を正「布教使」となってから公式な場面で初めてさせていただいたとき、そのような手紙をわたしが出したことを打本さんは覚えていてくださって、すごく感激しました。
わたしはわたしで「打本さんが北海道でこういうことを書いているってことは、たぶん北海道でもやろうと思えばいくらでも研究できるってことなんだ。それもこんなにまともに。」と思いました。その後、北塔和上がほとんど北海道で論文を仕上げて司教になられていったということも聞く。やっぱり場所はあんまり関係ないんだ、秀でる人にとっては。
当時のわたしには、北海道の真宗僧侶が臓器移植法について今も考えているということは、とてもすごいことでした。嬉しかった。
打本さんは打本さんで、臓器移植をめぐって、宗門の盛り上がりが一時期より明らかに下火になっているし、北海道でも正直あんまり盛り上がってるとは言い難いような状況下で、北海道出身の若い院生が今も龍大で真宗の立場からの臓器移植の研究をしているようだ、と思われたそうです。「あの当時のあの手紙はすごく嬉しかったんです」とおっしゃってくれました。
その、「共にあゆむ」42号の打本さんのスタイルは、言葉はまったくとんがってないし易しい、内容はかなり突っ込んだことを書いている、というものだったと思います。
ともかく、打本さんの前で臓器移植のご法話させていただいたとき、「打本さんの『共にあゆむ』42号を読んでものすごく勇気をもらったんです」と、お伝えすることができました。
あれは去年の10月でした。だから、もうすでにお体はだいぶしんどいようでした。でもご法話はちゃんと聞いてくださって、ちゃんと言葉をかけてくださいました。のみならず、その後の懇親会というか慰労会というかにも来てくださって、いろいろ話してくださいました。
なんといいますか。自分のわかる範囲だけで語るからこんな薄っぺらな打本さん像になってしまいます。どうもすみません。
多事にアンテナの張られた方でしたから、打本さんにはもっといろんな面があるんだと思います。いろんな方の語られる思い出を聞いたり読んだりしても、ほんとにいろんな角度から、いろんな思いから、いろんな打本さん像が立ち上がってきて、すごいなあと思っています。
とにかく、
ありがとうございました。
さみしいです。
この世は「亡くなった人」と「生きてる人」の対比で出来てるわけではないと思います。生きてる人も「いずれ亡くなる人」。遅いか早いかの違いしかなくて、そんな違いは微々たるもの。おくりびとふうに言うと「あなたもわたしも、おくりびと・おくられびと」、蓮如さんふうに言うと「われや先ひとや先」、それだけ。
理屈・理念・事実としては、それだけ。
でも、そうは言っても、わたし理屈やロジックだけで動いてるわけじゃないから、やっぱり、さみしいです。
ただ、さみしいだけじゃない、何かこう、しっくり来る感じの「何か」もきっちりいただいてる感じがします。浄土真宗で良かったと思う。でも、浄土真宗だから寂しくないかって言うと、そんなことはないです。寂しいのは寂しい。あたりまえだと思います。
何度も言いますが、さみしいのはさみしいです。ウソはつけません。
ありがとうございました。お世話になりました。さみしいです。
では。
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