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講演会に行ってきた。 [生命学]

 帯広駅のそばにある「とかちプラザ」で開催された講演会に行ってきました。

 正式なタイトルと会場を覚えてなかったので、総合案内で聞きました。

 「自死関連の講演会はどこですか?」
 「地震? 地震‥‥」バインダーぱらぱら
 「地震じゃなく自死です、自死。」
 「ジシ?ジシン??」
 「あっ。(マスクしてることに気付く。聞き取りづらいらしい)
  スミマセン。自殺関係の‥‥」
 「あっ。スミマセン。二階の視聴覚室です。」

 ちなみに講演会のタイトルは「自殺対策講演会」。
 サブタイは「自死をとりまく問題にどう向きあうか ~私たちにできること~」
でした。
(タイトルだめだめだと思います。サブタイをタイトルにすべきだと確信してしまうくらいタイトルだめだめです。)

 講演は、東京で自死の問題に取り組んでる方でした。「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表、藤澤克己氏。
 (http://homepage3.nifty.com/bouzsanga/

 十勝総合振興局技監という方が最初に挨拶をされて、‥‥ダメダメでした。「自殺」「自殺」って言いまくり。あまつさえ「今日の講演の先生は「自殺」じゃなく「自死」という言葉を用いていらっしゃいますね?」的な言葉を吐かれる。こりゃ何も事前準備をしてないことがまるわかりです。良く言えば飾らない方です。ひょっとすると大きく化けるかもしれません。

 ‥‥でも司会の方はわかっていらっしゃいました。というか誰かが真剣に望んで呼ばないと藤澤氏は来ないわけで、技監が呼んだわけじゃなく、司会の方も含まれてるのか、とにかく裏方の方がしっかり考えて呼ばれたようで、挨拶にならない挨拶以外はとても良かったです。

 パワーポイントを効果的に用いての講演でした。パワポまんまのレジュメもくださって、メモもとてもしやすかったです。

 どうすれば「寄り添う」ことができるのか、ということなんだけど、最初に大事なのは「どうすれば傷つけずに寄り添えるか」または「どうすればそばにいても嫌がられないか」なので、そこに最重点が置かれてた気がします。そして、それを重々わかってから始めましょう、みたいな感じに思えました。

 自死念慮者と遺族、一方がいちばん待っている言葉が、もう一方がいちばん遠ざけたい言葉である、そういうこともあると思うので、なんせ「たった一つの冴えたやり方」みたいなのが「無い」のが自死の周囲にある問題のややこしいところだと思います。

 でも両方に必要なのが何かは明らかだと思う。それはつまり「よりそわれること」「うけいれられること」。そしてそれは同じような場所から始めることができる。すなわち「きくこと」「よりそうこと」。

 相手のペースに任せてこちらの意見を押しつけない。こちらの思いは伝えるがそれは相手の思いをしっかり受け取ってあまりある状況が出来てから。

 念慮者・遺族、双方に寄り添うためのマニュアル的なものがもしあるとしたら↑これ↑だけだなあと思いました。

 質疑応答も、(一つ変なのがありましたが、そういう意味でも、)三つともすごく考えさせられました。

 去年の安居で、自死の周辺の問題をみんなで考えたとき、人に何か教えなきゃ駄目な気がしてしまう(坊さんのような)者が特にどうしても陥りがちな「自死は良いこと?悪いこと?」という、本当はどうでも良い問題について考えて、わたしは「それはどうでも良い」と言い、ある方は「お釈迦さまだったら無記で応えただろう」とおっしゃって、それを受けつつ中村元の経験からくる回答も紹介されて、ひとしきり「結論はない」的なのが結論みたいになって終わったあとで、ある先生が個人的にこう言ってくださった。

 自死は、良いことでも悪いことでもなく、悲しいことです。
 阿弥陀さまはきっとそうおっしゃるんじゃないでしょうか。
(取意)

 悲しいから悪いってことじゃなく。まず悲しまれるんじゃないか、っていうことだと思います。

 これは、答えの内容よりも、先生がこういうふうにおっしゃる態度、それを伝えようとしてくれる態度、そして先生がこう言わざるを得ないというか、先生がこうおっしゃりたくておっしゃった、その事実に感動した覚えがあります。

 「良い悪いは考えちゃダメなんだ!」と言ってるだけのわたしとは出発点が全然ちがう。

 そういうのもいろいろ思い出しながら、じわじわしてました。

 藤澤先生、サンマーク出版の文庫本、『自殺って言えなかった。』を勧めておられました。自死遺児の手記の集大成です。すばらしい本です。

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 わたしは生き方からしておこがましさ満点な、はっきり言ってアホなんですが、だからこの本を読んだときも、自死遺族の本を読んで、彼らに寄り添うためにどうすれば良いかを知るために、つまりどっちかというと完全に「上から目線」で読み始めたんですけど、‥‥それがまったくアホな試みであることに気付かせてもらった本です。

 強い者とか弱い者とか、そんなもんないんだと思うんです。もちろん自死なさった方の遺族や友人、恋人には誰かが寄り添わなければなりません。それはそうなんだけど、それは弱者に強者が寄り添って「あげる」的なものでは全然ないということです。それは絶対的な関係性ではない。必要とされている援助がなされるのは、上から下へではなく、むしろ、ごく当然なことなのだと思わされました。そして、むかし誰かから寄り添ってもらって力をもらい、今なんとかなってる人は、今こまってる誰かに寄り添う側になれば良い、ということなんだと思いました。

 最後、(聞いてるときはわからなかったけど、)先生、そういう感じでまとめて帰っていかれた気がします。たすけてもらったからと言って助けてくれた方に恩返ししなければならないってことでもないと思う、って。誰かに助けてもらった人は、余裕が出来てきたら誰かを助ければ良いでしょう、って。ビハーラ(仏教ホスピスのようなもの)を例にあげて説明なさったのもわかりやすかったです。

 はい。

 とにかく、わたしには最高に良い講演会でした。聞けて良かったです。

 聴衆の僧侶率が高くてちょっとアレでした(笑)。知り合いの多いこと。だから、つまり今日はみんなで共有できたわけだから、何か新しい展開ができるかもしれない?とも思いました。

 ただ、先生も危惧しておられるように、坊さんって誰よりも自死に関して「命を粗末にして!」的ないちばん間違った受け取りを大声で他人に言っちゃいそうな人たちなので、そのへん、ちょっと注意は必要だと思います。

 でも、そういうマチガイがあるとしても、それを乗り越えて、何かできそうな気もしてます。

 はい。今日はここまでです。

 ではでは。

自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫)

自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫)


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