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「断念」と言ってしまっては‥‥ [時事ネタ系]

「亀岡暴走:危険運転致死傷罪の適用断念 京都地検が方針」
毎日新聞 2012年05月12日 02時25分(最終更新 05月12日 02時48分)
http://mainichi.jp/select/news/20120512k0000m040145000c.html

「断念」という言い方が気になる。

「こいつは悪いヤツだから何としても重罪にしてやる!」
という思いで法律を使ってはいかんのではないか。

政治の場面でもそういうのが最近ありますね。
あれ、当の政治家が本当に悪いことをしてるのかしてないのかは
もはや気にならないくらい
マスコミその他の叩き方が異常で怖いです。

裏の感情水準でそういう思いがあるとしても、
それを前面に押し出してやってはいけないと思う。

まわりの人が感情的になって「危険運転を適用しないなんてあんまりだ!」
と言って騒ぐのは仕方ないとして(ひどいことになったから)、
法律を実際に運用して
どのくらいの罪になるのかをきちんきちんと考える立場の思いとして
「断念」を使うのは、この場合、適切ではない。

見出しとしては
「「危険運転」適用されず」
くらいではないのか。

まあ、記事の内容はこの方向でも良いのでは?
だって最近は被害者に寄り添おうとして
寄り添い方に失敗して巻き込まれて
たのまれてもないのに「同化」して騒ぐ方向に
読者をミスリードするのが報道の流行のひとつだから?
これはそういう記事なのでしょう。

(たぶんどこかに違う方向の記事もあるのだろう。
 なきゃ腐ってる。)


法律を変えるなら、居眠り運転と、ぼーっとした運転と、
そういう、法律では「危険運転」にならない、
でも実際には危険きわまりない運転に至る状況を
作らせない、
そういう方向に、法律を変えるべきだと思います。

居眠り運転防止装置、その他の義務化など。
漫然運転防止のための研究の推進、対策、などなど。
データを蓄積していくためとしてのカメラの義務化など。
(ただでは転ばないために。)

そういうハードが整ってないところで
ソフト面だけ努力させてもダメだと思います。

交通事故で人を死なせてしまった場合は厳罰化する!
という、
個人個人の努力(居眠りしないでがんばるぞ!系)
を強制化するような法律に
わざわざ変えていくのは変だ。というか実情に合わない。
感情的にはそれでいい場合もあるけれど、
それでは何も解決しない。

「溜飲が下がる」というのは解決といちばん遠いところにある。

無駄にしないというのは、
溜飲を下げることではなく解決する、解決する努力をするってことである。


‥‥のではないかなあと思っています。

では。
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