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瓜生崇 『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』 サンガ伝道叢書2 [本の感想系]

瓜生崇
『さよなら親鸞会
 脱会から再び念仏に出遇うまで』
サンガ伝道叢書2
2014年2月1日
300円
さよなら親鸞会.jpg
http://samgha.shop-pro.jp/?pid=72401524

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」

 著者は、浄土真宗本願寺派から出た、カルト的な問題があることを日本脱カルト協会などから指摘されている「浄土真宗親鸞会」という新宗教に勧誘され入会し、熱心な信者となり、伝道布教活動にいそしんでいた時期があったが、紆余曲折を経て脱会し、今は真宗大谷派のお寺の住職をしている。

 なぜ・どのようなきっかけで親鸞会に入ったのか。入っている間はどのように考えどのような活動をしていたのか。なぜ・どのようなきっかけで脱会したのか。そして今はどのように考えどのような活動をしているのか。親鸞会でのことも、今の思いも、ともに率直に語られている。とあるお寺でなさったご法話をテキストに起こしたものであり、やさしく語りかける口調で読みやすい。内容もわかりやすい。

 著者は親鸞会の勧誘方法や伝道布教の方法、教えの内容などに否定的ではあるが、自分が阿弥陀如来の救済の教えについて初めて聞くことが出来たのはまぎれもなく親鸞会においてであったという事実を重く受け止めている。既存の真宗教団しか存在しなかったならば、著者は阿弥陀如来の救いに、ほぼ確実に、絶対に、出遇えていなかったのである。

 著者は自分が親鸞会在籍時におこなったさまざまな勧誘活動、特にネット対策などで著しい成果を上げたことを反省するとともに今も胸を痛めている。親鸞会によって大変な思いをさせられた人や大変な思いをさせられている人は今なお少なくない。しかし、だからといって、阿弥陀さまは著者を見放して放ってはおかなかったのである。

 著者の信心の問題の解決がついたのは親鸞会を脱会後しばらくたって、あるお寺でのお聴聞がきっかけとなった。それまでの求道のあゆみと解放についても詳細に語られている。

 とは言え、浄土の真宗の信心は、わたしが求めて頑張るから与えられるものではなく、阿弥陀さまの願いからわたしに生じるのである。だからわたしたちがそれを殊更に求めたり問題にしたりする必要は、ないのである。

「私が居て、如来様が居て、私が如来様を信じて、如来様が救って下さるんじゃないんです。そうじゃなくて、如来様が南無阿弥陀仏そのもので、南無阿弥陀仏のど真ん中の私であったということに気づかされる。このことが信心やった。」(49-50頁)

 まさに、このご法話のご讃題に掲げられている「遠慶宿縁」である。「聞思莫遅慮」である。本当によかった。南無阿弥陀仏。

※ 購入したい・読みたい方は、書名や「サンガ伝道叢書」で検索するか、下記のURLにアクセスするなどしてみてください。真宗大谷派系の出版社です。
http://samgha.shop-pro.jp/?pid=72401524
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