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「自力の称念(≠少年)きらはるる」2022年5月1日あさまいり [法話]

2022年5月1日の妙法寺あさまいりです。

「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば
  不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」
(親鸞作『正像末和讃』より)



真実信心は「わたしがわたしの真実のこころで信じること」ではなく、真実そのものである阿弥陀如来の「まごころ」みたいなものから発生する「南無阿弥陀仏」そのものです。

法然聖人は「わたし」から仏さまにふりむけるべき何ものも存在しないことを「不回向」という言葉で示されました。当時から誤解されがちですが、浄土教では実際にそのとおりです。しかしながら阿弥陀如来から「わたし」にふりむけられるのが南無阿弥陀仏のすくいです。それを「弥陀回向の法」と表現されています。

「自力の称念」という言葉から思い出されるのはKinKi Kidsの『ガラスの少年』というデビュー曲にしてミリオンセラーの大ヒット曲のタイトルです。(正確には『硝子の少年』)言葉ってなかなか、いっかい結びつくと離れていかないもんですよね。……

「じりきのしょうねんきらはるる」というのは、この世界の困難や課題や悲しみなどにぶつかったとき、何もかも自分の力で切り開こうとしている少年のことがきらわれるとかそりゃだめだよとかいうことでは全然なく、阿弥陀如来から回向されている南無阿弥陀仏を自分でとなえることを自分の功徳にすることができると勘違いするのはもったいないですよということです。

なんまんだぶ。

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