「浄土真宗の救いのよろこび」について [時事ネタ系]
先日の「ポエム」関連のつづきです。
語呂が良くないものは唱和に向かないと思います。
語呂が良くなくても、歌になっていれば唱和できる場合もあります。
お寺では法話の会のとき「聴聞の心得」というのを唱和します。
聴聞の心得
ひとつ このたびのご縁は はつごとと思うべし
ひとつ このたびのご縁は われ一人のためと思うべし
ひとつ このたびのご縁は 今生最後と思うべし
内容もよいし、語呂も大変よいと思います。
居酒屋の壁にたまにポエムが貼られていることがあります。
じっくり読んでみるんですが、内容は「前向き」「前のめり」である雰囲気はあるものの、実際には何が言いたいのかよくわからなかったりするし、何より語呂があんまりよくないと思うことがほとんどです。「でもこれひょっとするとラップで、刻む?って言うんだっけ、アレをやると良くなるのかも知れない、ただ韻を踏んでる気配もないな……」と思ったりします。
わたしは『拝読 浄土真宗の み教え』の旧版、黒いのに載ってた「浄土真宗の救いのよろこび」が、内容も好きですし、語呂の良さも好きですし、唱和に適しているとつねづね思っています。と言いながら実際にはあんまり唱和してません。「唱和」というのはあんまり時代に即してないのかもしれません。でも歌手のライブでは「歌って!」と言われたらガンガン唱和しますね。わたしも『ポケットを空にして』は坂本真綾のライブで何度も唱和したものです。そしてきっとこれからも唱和することでしょう。この「救いのよろこび」も唱和する機会があればやっていこうかな。
「浄土真宗の救いのよろこび」
阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます
このよび声を聞きひらき
如来の救いにまかすとき
永遠に消えない灯火が
私の心にともります
如来の大悲に生かされて
御恩報謝のよろこびに
南無阿弥陀仏を称えつつ
真実の道を歩みます
この世の縁の尽きるとき
如来の浄土に生まれては
さとりの智慧をいただいて
あらゆるいのちを救います
宗祖親鸞聖人が
如来の真実を示された
浄土真宗のみ教えを
共によろこび広めます
「永遠」は「とわ」、「真実」は「まこと」など、ルビがあると読みやすいですね。
浄土真宗本願寺派 750回大遠忌のときの説明にはこのようにあります。
------------------------------
「浄土真宗の救いのよろこび」は、親鸞聖人が説かれた阿弥陀如来の本願のみ教えの要を、自らうけとめ、そのよろこびを述べていくものです。
そこには、短いながらも浄土真宗のみ教えの要である、阿弥陀如来の本願、南無阿弥陀仏の名号、信心、称名報恩、往生浄土、そして親鸞聖人のみ教えを広めていく伝道の心が織り込まれています。くりかえし自ら声に出して読むたびに、み教えに思いを傾け、味わいを深めることができるでしょう。
------------------------------
『拝読 浄土真宗のみ教え』の活用(本願寺派公式サイト内)
https://www.hongwanji.or.jp/daionki/shinkou-soumon/shumon03/shumon_03_17.html
より
わたしたち「浄土真宗」の教団は、親鸞さまの導きに感謝しつつ、阿弥陀仏の救いに感謝しまくっていく教団だと思います。そのときに「よりどころ」というか、参照したり読んだりするのは、多くが浄土三部経や親鸞さまの述作だったりすると思います。そして親鸞さまという方は、びっくりするくらい言語感覚が豊かで、(こんな言い方失礼なんだけど)散文も詩歌も韻文もめちゃくちゃスゴイわけです。毎朝いただくお正信偈はやっぱりすごいし、ご和讃も何百首あって、繰り読みしてても、こりゃものすごいなと思わせてもらうばっかりです。内容も語呂も、語感も韻も、なんせすごいわけです。
だからわたしたちは、もっと、ポエムじゃないものを唱和すべきなんじゃないかと思うのです。親鸞さまほどのクオリティのものはたぶん無理だと思いますが、それでもがんばって、せめて57調くらいは挑戦してみたら良いんじゃないかと思います。ラップのように韻をふみまくるのも良いと思います。とにかく語呂ってすごく大事だと思うんですよ。
居酒屋のポエムがそれでも尊いのは意思表明だからだと思います。わたしの感覚とはちょっと違うけど、それでも「伝えたいことがあるから!」張り出されている。おそらく「前向き」であることがとても大事だという、そういうメッセージは感じられます。でも、「唱和して!!」といわれたらちょっと困ります。ポエム側もべつに唱和することを求めては来ません。
なお、「浄土真宗の救いのよろこび」の本文は
こちらのサイトからコピーアンドペーストさせていただきました。
廣國山 稱名寺 さま
http://www.smj.or.jp/posts/piece20.html
ルビのある画像バージョンも置いてくださっています。本当にありがとうございます。どうぞご覧になってください。熱い思いが感じられます。そして。……うーん。考えさせられます。「読書百遍意自ずから通ずる」とも言いますよね。もちろんそれだけではなく、話したり聞いたりしていかなければなりませんが、通じないからといって何もせずばっさりカットするのはなあ。
なんまんだぶ。
語呂が良くないものは唱和に向かないと思います。
語呂が良くなくても、歌になっていれば唱和できる場合もあります。
お寺では法話の会のとき「聴聞の心得」というのを唱和します。
聴聞の心得
ひとつ このたびのご縁は はつごとと思うべし
ひとつ このたびのご縁は われ一人のためと思うべし
ひとつ このたびのご縁は 今生最後と思うべし
内容もよいし、語呂も大変よいと思います。
居酒屋の壁にたまにポエムが貼られていることがあります。
じっくり読んでみるんですが、内容は「前向き」「前のめり」である雰囲気はあるものの、実際には何が言いたいのかよくわからなかったりするし、何より語呂があんまりよくないと思うことがほとんどです。「でもこれひょっとするとラップで、刻む?って言うんだっけ、アレをやると良くなるのかも知れない、ただ韻を踏んでる気配もないな……」と思ったりします。
わたしは『拝読 浄土真宗の み教え』の旧版、黒いのに載ってた「浄土真宗の救いのよろこび」が、内容も好きですし、語呂の良さも好きですし、唱和に適しているとつねづね思っています。と言いながら実際にはあんまり唱和してません。「唱和」というのはあんまり時代に即してないのかもしれません。でも歌手のライブでは「歌って!」と言われたらガンガン唱和しますね。わたしも『ポケットを空にして』は坂本真綾のライブで何度も唱和したものです。そしてきっとこれからも唱和することでしょう。この「救いのよろこび」も唱和する機会があればやっていこうかな。
「浄土真宗の救いのよろこび」
阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます
このよび声を聞きひらき
如来の救いにまかすとき
永遠に消えない灯火が
私の心にともります
如来の大悲に生かされて
御恩報謝のよろこびに
南無阿弥陀仏を称えつつ
真実の道を歩みます
この世の縁の尽きるとき
如来の浄土に生まれては
さとりの智慧をいただいて
あらゆるいのちを救います
宗祖親鸞聖人が
如来の真実を示された
浄土真宗のみ教えを
共によろこび広めます
「永遠」は「とわ」、「真実」は「まこと」など、ルビがあると読みやすいですね。
浄土真宗本願寺派 750回大遠忌のときの説明にはこのようにあります。
------------------------------
「浄土真宗の救いのよろこび」は、親鸞聖人が説かれた阿弥陀如来の本願のみ教えの要を、自らうけとめ、そのよろこびを述べていくものです。
そこには、短いながらも浄土真宗のみ教えの要である、阿弥陀如来の本願、南無阿弥陀仏の名号、信心、称名報恩、往生浄土、そして親鸞聖人のみ教えを広めていく伝道の心が織り込まれています。くりかえし自ら声に出して読むたびに、み教えに思いを傾け、味わいを深めることができるでしょう。
------------------------------
『拝読 浄土真宗のみ教え』の活用(本願寺派公式サイト内)
https://www.hongwanji.or.jp/daionki/shinkou-soumon/shumon03/shumon_03_17.html
より
わたしたち「浄土真宗」の教団は、親鸞さまの導きに感謝しつつ、阿弥陀仏の救いに感謝しまくっていく教団だと思います。そのときに「よりどころ」というか、参照したり読んだりするのは、多くが浄土三部経や親鸞さまの述作だったりすると思います。そして親鸞さまという方は、びっくりするくらい言語感覚が豊かで、(こんな言い方失礼なんだけど)散文も詩歌も韻文もめちゃくちゃスゴイわけです。毎朝いただくお正信偈はやっぱりすごいし、ご和讃も何百首あって、繰り読みしてても、こりゃものすごいなと思わせてもらうばっかりです。内容も語呂も、語感も韻も、なんせすごいわけです。
だからわたしたちは、もっと、ポエムじゃないものを唱和すべきなんじゃないかと思うのです。親鸞さまほどのクオリティのものはたぶん無理だと思いますが、それでもがんばって、せめて57調くらいは挑戦してみたら良いんじゃないかと思います。ラップのように韻をふみまくるのも良いと思います。とにかく語呂ってすごく大事だと思うんですよ。
居酒屋のポエムがそれでも尊いのは意思表明だからだと思います。わたしの感覚とはちょっと違うけど、それでも「伝えたいことがあるから!」張り出されている。おそらく「前向き」であることがとても大事だという、そういうメッセージは感じられます。でも、「唱和して!!」といわれたらちょっと困ります。ポエム側もべつに唱和することを求めては来ません。
なお、「浄土真宗の救いのよろこび」の本文は
こちらのサイトからコピーアンドペーストさせていただきました。
廣國山 稱名寺 さま
http://www.smj.or.jp/posts/piece20.html
ルビのある画像バージョンも置いてくださっています。本当にありがとうございます。どうぞご覧になってください。熱い思いが感じられます。そして。……うーん。考えさせられます。「読書百遍意自ずから通ずる」とも言いますよね。もちろんそれだけではなく、話したり聞いたりしていかなければなりませんが、通じないからといって何もせずばっさりカットするのはなあ。
なんまんだぶ。
コメント 0