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公式参拝に今日もふと思う 2。 [政教分離]

 小泉さんが靖国神社に参拝する。参拝の真意を聞かれ小泉さんは「平和を願っての参拝です」的に抽象的に言うのみで具体的には一体どのように考えているのか伝えてくれない。だから彼の真意を知ることは出来ない。出来ないけれど、真意がどうであれ、小泉さんの行為は小泉さんのココロから離れて結果として評価され、結果として意味を生じる。

 小泉さんの靖国参拝という行為には

1.Aクラス戦犯に頭(こうべ)を垂れている。
2.他の戦没者に頭を垂れている。
3.一宗教法人に参拝している。

 以上少なくとも三つの意味がある。

 彼の参拝に対して「やるべきだ」と言う人がいる。「それはいけない」と言う人がいる。その人はどれに対して「すべき」「いけない」と言っているのか、言っているつもりなのか。

 何かややこしい問題がある場合、問題が含んでいる様々な要素を「くちゃっ」と固めたり丸めたりした上で吟味した方が良い場合もあるし、そうではなく、絡んだところをほどいて、貼り付いてるところをきっちり剥がしてから吟味した方が良い場合とがあると思う。

 靖国神社への参拝という問題は、後者だと思う。

 Aクラス戦犯の存在や行為をどう考えるかは難しい問題だと思う。

 彼らは考えた。行動した。結果えらいことになった。動機や行動の裏付けとなった情報量の多寡について見解は分かれるがその結果が「えらいことになった」というのは言えると思う。

 彼らに限らず、我々の日常に於いても、たとえ善意に根ざした行為であっても結果が無茶苦茶に終わった場合にはその責任を取る必要がある、それは言えると思う。

 ただ彼らの場合、その「責任」の取り方・取らされ方が裁判まで含めてこれまた逆に滅茶苦茶であった、それも言えると思う。

 ただ、裁判が滅茶苦茶だったからと言って彼らが裁判で扱われたたくさんの問題から完全に無罪になれると考えるべきではないと思う。

 はい、今日はココまで。(続きはあるのか。)


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