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『メメント』から。 [本の感想系]

森達也『メメント』から。

『歎異抄』第十三条を引用・現代語訳した後の文章。

「たくさんの虫や動物を今まで殺戮してきた僕は、うろたえる唯円に自分を投影する。この師はあまりにも厳しい、そこまで言わなくてもと少しだけ思う。でも絶対的に正しい。特に民意の増幅と感染を大規模に媒介するマスメディアが発達した現代に生きる僕たちにとって、警戒すべきなのは外なる悪ではなく内なる善なのだ。」(「殺すべき縁」より、p.116)

布教使さん方がよくおっしゃっていたと思うのは(そして今もよくおっしゃっていると思うのは)、自分が善であると思い、それを疑わないから、「じゃあコレは相手が悪いんだ」と言ってしまう。自分は善人、相手が悪人になる。去年か一昨年のカレンダ、何月だったか、「善人ばかりの家は争いが絶えない」と書いてありましたね。まっったくその通りだと思う。まいったまいった。

‥‥私が善だから、私は相手をとことんまで、再起不能になるくらい、友だちづきあいをやめざるを得ないとそれぞれお互いに結論を出してしまうほど、叩き尽くすことができる。なぜなら、善だから。

でもそんなふうにする人って、本当に善なのだろうか。結果的にはかえって悪いんじゃないか。

善人たろうとする人は、つまり、善人ではないから善人たろうとするのだ。ということは、善人たろうとしている人は善人ではありえないのだ。

「鬼はソト、福はウチ」、ならぬ「悪はソト、善はウチ」。それが私の意識、私が求めているソト像、私像なのだなあ。などと思いました。

ふつう「メメント・モリ」と言うのに「メメント」で止まっているのは、たぶん著者が「モリ」だからなのかな。

‥‥ページが「116」なのも良い感じの偶然ですね。

ちしゅー

(携帯から更新後、PCから少し加筆しました。)
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