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高橋卓志『寺よ、変われ』(岩波新書) [本の感想系]

「すべき」ではなく「したい」が、わたしを・寺を・世界を変えて行く。

寺よ、変われ (岩波新書)

寺よ、変われ (岩波新書)

  • 作者: 高橋 卓志
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 新書

【bk1】http://www.bk1.jp/product/03116435

「すべき」ではなく「したい」が、わたしを・寺を・世界を変えて行く。

 出版されてすぐ購入、たちどころに半分読み、その後なぜかパタッと止まってしまったが、やっと読了した。止まった理由は、内容的に叱られている気がしてキツかったからだと思う。叱られる気がしてキツイのは、自分の為すべきことの書かれた読むべき本であるゆえだと思う。
 
 前半は、仏教や現代の日本をめぐる現状分析と、「高橋卓志はいかにして今日の高橋卓志的な問題意識を持つに至ったのか?」という自己分析である。
 
 後半は、「どうすれば寺は変わるのか? 寺が変わればどうなるのか?」プラス、高橋卓志が今まであまり明らかにしてなかったと思われる、「高橋卓志、『イベント』以外の日々あれこれ」的な、バイタリティ溢れる実際の紹介である。本願寺派のご門主が上田紀行氏と対談して「エンジン」「ハンドル」と言っていた、その両方がまったくすごいのだ。
 
 高橋氏、お坊さんからよく「あんたのやってるのは顕徳だ」(本来やるべきではないことをしている)と言われるらしい。でもそう言う人が「陰徳」(本来やるべきこと)と思っていることを高橋氏は「あたりまえのこと」として全部すでにやっている。その上でこう言う。
 
「仏教者には保持する三つの主義があるという。第一に、先の宗教評論家【註:118頁】の言う、原始仏教への回帰や解脱[げだつ]へ向かう修行中心の原理主義、第二に、安心[あんじん]、決定[けつじょう]、そして信仰中心の生活に向かう信仰主義、第三に、「苦」の現場に向かい、そこでさまざまな「苦」と切り結びながら、「苦」を緩和・解消しようと試みる社会対応主義である。主義は他の主義を容易に認めないものだ。しかし、戒が失われ、棄信感が増大し、多様で異質な「苦」があふれる現代社会に、単一の主義を完遂すること、主張することには無理がある。それよりは、それらの主義を統合・連携させ、絶妙なブレンドを生み出す方が現代に即している。神宮寺【註:高橋氏のお寺】の仕事(活動)は、原理主義を標榜しながらもそれをバックグラウンドに置き、信仰主義は当然行うべきこととして日々実践しながらも披瀝せず、常に現場を見据え、社会対応主義に徹するというブレンド方法を採っている。原理主義や信仰主義は、表に見える必要はない。しかし、それらは通奏低音として、神宮寺の仕事の地下水脈を流れている。流れていなければ、このような仕事はできない。」(120~121頁)
 
 何をどういふうにして日常と関わっても良いのだと思う。あえて言えば、逆にすべてがダメでもある。何故なら、わたしたち人間が為すことは、すべてが「人」の「為」すこと、つまり「偽」であり、大慈大悲・小慈小悲でいえば「小」の行為に決まっている。やりたいから仏教的な肝心要のところ(だと本人が思っているあたり)の研究をやる・やりたくないからやらない。同様に、やりたいから社会対応型の仏教をやる・やりたくないからやらない。
 
 法然聖人は「お念仏申しやすいように生きなさい」とおっしゃった。つまり仏教研究をしていた方が救いを感じやすいのならそうすれば良いし、社会対応型の仏教をしていた方が救いを感じやすいのならそうれば良い、ということだと思う。こだわらなくて良いのだと思う。
 
 「仏教が盛んになっていくために自分は何をすべきだろう?」と考えるよりも、「わたしに救いが届いている!」と感じられるかどうか、そしてその後で「仏教が伝わっていく今この時、わたしは何がしたいだろう?」と感じ考える、それがすべてなのだろうなあ、そう思う。
 
 「すべき」ではなく「したい」が、わたしを・寺を・世界を変えて行く。
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