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文藝春秋5月号の『信仰入門』を読みつつある。 [宗教]

 池上彰の「信仰入門」(文藝春秋5月特別号)、ひとつめの島田裕巳のを読んだ。

 昔からわかっていたことではあるが、今回あらためてとてもよくわかったことがある。つまり島田裕巳は宗教学者の肩書きを持ったシロウトである。いや、宗教について膨大な知識を仕入れているようであるから「宗教教団や宗教者についての学者」つまりクロウトではあるのかもしれない。しかしそれでいて「宗教」がなんなのかをまったくわかっていないし宗教の根幹にある「信仰」についてもこれっぽっちもわかっていない。宗教も信仰もわからないなら「宗教のことを全部解っている宗教学者」のような顔をして語ってはいけない。知識だけで宗教や信仰について語り尽くせると勘違いしている宗教学者は要らない。

 1995年、島田氏はオウムの事件をうけ、わーわー、おろおろして、宗教学者の肩書きを自ら外して大反省をした。あのときの真摯さはどこへ行ったのか。言ってる内容がカスでも態度が真摯であるなら多少はマシであるのに、今は残念ながら当時の真摯さのカケラもなくなってしまっている。あの事件の前の島田氏と同じように「思う」「かもしれない」の憶測と希望的観測と勘違いで突き進んでいるのが今の島田氏。つまり、無自覚のうちに再び同じ事をやるつもりなのだ。そしてまたとんでもない事件が起こって、わーわー、おろおろして、ほとぼりがさめたら、無自覚に三度やるのだ。だんだんわかってきた。この人はそういう人なのだ。

「池上 当然、島田家はどうするんですか、と聞かれますよね(笑)。
 島田 よく聞かれますけどね、まだ死なないって(笑)。」p.402

 自分が死ぬことを考えろ、せめて葬式についてだけでも考えろ、と言ったのが『葬式は要らない』だった。あの本で島田がやったのは「まだ死なないと思っていても必ず死ぬからその時のことを今から考えろ」という、曲がりなりにも筋の通った提言だったはずだ、本の内容も著者の態度も分析その他も完全にカスであったとはいえ。それなのにその本人が「まだ死なないって(笑)。」で済ましている‥‥だと? お前は一体なんなんだ。

 ‥‥というか、ネ。こんな「まだ死なないって(笑)。」なんてことを言ってる人がどんな知識を仕入れて何をどう言ったところで、その人が見つめているのが宗教や信仰であるはずがないネ。

 発泡スチロールで出来たハリボテの「ご本尊」を見て「この宗教はホンモノだ!」と断言したかつての島田氏のように、何か全然違うものを宗教的な現象と勘違いしているだけだ。

 加えて池上彰も酷い。島田にそそのかされてこんなことを言ってもいる。

「無宗教だと変に後ろめたく思う必要はないわけですね。むしろ個別の宗派を超えた新たな信仰のモデルになる可能性もあります。無宗教でも、十分天国に行けますね(笑)。」p.404

 「新たな信仰のモデル」? 冗談もたいがいにしてください池上先生! 宗教を知らない者が宗教を知らない者から「講義」を受けて盛り上がって「天国に行けますね(笑)。」しっかりしてくださいセンセイ!(カタカナ化)わかっている人から聞いても「正直わからん」と思うのが宗教ですよ。知識で捉えられないのが、知識のアプローチを拒否しているのが宗教であり信仰なんですよ。←という知識が入ってもまったく捉えられないのが宗教です。そんなこともわからずに宗教や救いを語ってはいけませんよセンセイ。

 ‥‥ともかく5月号の「信仰入門」が読者にとっての入門では全然ないことがわかる。これでは入門にならない。ということは、これは読者にとっての入門ではなく、池上彰氏が自分自身まったくわかっていない信仰について少し真剣に学ぼうと思い(失敗し)つつある、そういう入門なのだろう。いや、でも、この後には高橋卓志、釈徹宗にも「入門」しているからひょっとするとそれ以上のことになっているのかもしれない。(でも冒頭には「宗教の基礎知識」ってある。ああ、だめっぽい。)

 しかし批判したり悪口言ったり「あほあほあほ!」って罵ったりするのって本当にラクですね。だめだだめだ。島田が中沢を非難する本を出したくらいのことでいいから、せめてあのくらいできないとてんでだめだと思うぞわたし。

 ではでは。

(Twitterでのぼやきに加筆・修正)
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