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打本さんの追悼文。 [生命学]

 一昨年の7月にご往生なさった打本顕真さんの追悼文集が出るそうです。
 わたしも書かせていただきました。
 以下、年号等の漢数字をインド数字にした以外はそのまま。
 文集はまだ出てませんが、
 学術雑誌や営利書籍じゃないから良いんじゃないかと思います。

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 修士論文『真宗と現代・融合と乖離』を提出後、龍大の博士課程に進学、棚原正智氏と共同で脳死臓器移植と生命倫理に関するアンケートをインターネット上で採っていた2000年。脳死臓器移植に大峯顕先生が「賛成」、信楽峻麿先生が「反対」を表明されてしばらく経っていた頃であり、また1997年には「臓器移植法」が成立したこともあってか、本願寺派の多くの僧侶や学生の興味は「脳死」や臓器移植そのものの是非よりも、本願寺派当局が公式見解を出すべきか出さざるべきか等に移っていた。

 しかし、立花隆の『脳死』三部作や森岡正博『脳死の人』、小松美彦『死は共鳴する』等を読了した私には、本願寺派内の各論者が「脳死」そのものを医学や生物学、社会学的な見地から正しく理解せぬまま、「脳死」という言葉の鮮烈すぎるイメージだけで「賛成」「反対」を表明しているという事実こそが問題であるように思えていた。(植物状態と脳死との区別も付かぬ者が脳死を論じてしまう、これも大変な問題なのであった。)

 そのようなもどかしさの中で出会ったのが、打本顕真さんも執筆なさっている『共にあゆむ』42号であった。

 まさに私の危惧が、私のそれより遙かに簡潔で遙かに解りやすい文章で、本願寺の公式サイトに載っていたのである。

 驚喜した私は、打本顕真さんに、私と同じ見解を持つ人が本願寺派内しかも北海道にいたことを大変に心強く思ったという、今思えば失礼な内容のメッセージを添えて、アンケートの回答を依頼した。

 棚原氏と採ったそのアンケートの結果を整理して印仏研で発表したのが、(一応の)研究者としての私の出発点となった。

 その後も打本顕真さんからはいろいろなことを教えていただいた。ご往生というご縁にあたっても大変なことを教えていただいた。

 ありがとうございました。寂しいです。

(『共にあゆむ』42号の一部は
 http://www.akinet.ne.jp/saikouji/P003.HTM で読める)

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 以上。
 2009年7月18日の日記
 http://chishu.blog.so-net.ne.jp/2009-07-18 も参考にしつつ。

 ではではでは。
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