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高齢者学級の講師を… [日記]

ご門徒さん家へのお盆参りが一応は一段落した10日。

午前中、町のとある高齢者学級の講師として話をさせていただき、70分+20分にわたり、謎汗をたくさんかいて来ました。

講演のタイトルは「人生と宗教」。何をどう話しても良いという、しばりのない状況だったので、タイトルはともかく、お盆が近いのでお盆の話から始めることにしました。用いたのは『盂蘭盆経』をテーマにしたマンガ。

http://www.suzuki-syuppan.co.jp/script/search.php?type=book&wd=%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86%E7%B5%8C

ひろさちやが監修している、108冊の仏教マンガシリーズのうちの1冊。このシリーズはとても良いと思います。祖父が定期購入でそろえてくれていました。

講演では、この本をスキャンしたものをパワポで表示しつつ、朗読して、目連さんとお母さん、お釈迦さま、安居の大衆への「供養」の話などを一応しました。その上で、これはあくまでお盆の起源の話なんですよ、と断り、そしてその後、『盂蘭盆経』が実は中国成立の経典であること、先祖供養と結びついているから中国と日本で重用されていることなども話しました。さらに、目連さんのお母さんがなぜ餓鬼道に落ちたのかという話から発展して鬼子母神の話もして、「母親というのは、たぶんこういうものだ。というより、人にはこういうところが多かれ少なかれ必ずあると思う、大事なのはおそらく、そこに「救い」がきちんと用意されていることだと思う」という、マンガにも書いてあることを踏襲しつつ、広い範囲について ちしゅー独自の解釈や思い込みなどもきちんと?語って、70分の「お話」は終了。

お盆に先祖が帰ってくるとか帰ってこないとか、そういう話から真宗の往相・還相二回向にからめた話をするのも良かったのかもしれませんが、時間の制約というよりテーマが広がりすぎるだろうし真宗一辺倒の話になってしまいそうだったので、それは今回はしませんでした。

「お話」の最後の方は、タイトルの「人生と宗教」と関係ある話をオチというか帰結点にするつもりで、「人生の上の宗教」という考え方と「宗教の上の人生」という考え方、二つあると思います、そして、わたしは後者が本当だと思います、という意見を表明して終わるのだろう、と当初思っていた、そのような終わりに、実際なりました。

全体的には、内容をきちんと興味深く聞いてくださっているような雰囲気の時もあったし、こちらを心配してくださっている雰囲気もときどき感じつつ(しっかり!という応援のような雰囲気を感じつつ)、いちおう予定通りに終わったような気がします。

講演に続く20分の質疑応答では、「もっと坊さんしっかりしなさい」という意味の言葉や、「戦争中に世間や学校からマインドコントロール的なものを受けていたのだと思うが戦後それががらっと、学校の先生方の言うことがコロッと変わった。びっくりした。それと同様なことを今のお寺にも感じる。今のわたしは真宗の門徒だが、今も宗教的に三代続くやっぱりマインドコントロールみたいなものを受けているようなものなのか?という気が少しする。お寺で言っている内容もこれからがらっと変わることがあるのではないか? お寺で今語っている内容も、戦中の常識のような、結局「ウソでした!」で終わるものなのではないか? 阿弥陀仏とか救いとか、そういうのは虚構なのではないか?」みたいな内容の述懐や、「今の話によると『盂蘭盆経』には「布施しろ」「布施しろ」と書いてあるようだがそう言われるとやっぱりなんか変な気がする」的な質問というか意見というか主張というかをいただきました。

「ご法話を聞くときには質問なんかしない、でも今日は講演だから、質問する、というか、わたしは今どうも言いたいことを言っているだけのようだからこれではちょっと回答に困るだろうか?」みたいに配慮してくださりつつ、広がっていく、たしかに回答はしづらい・しなくともよい、実際「そうなのですか」と受け取らされてもらうよりない話を聞けました。

『盂蘭盆経』で主張されている「だから僧侶に布施しなさい」という内容については、わたしとしては「これはないな… 僧侶が自分に布施しろって言っているような感じだ」と思ったので、それを笑うためにいろいろ変な話をしたつもりだったのだけど、それが逆に働いて裏目に出てうまいこと伝えられなかったということがわかって、ものっすごい反省材料になりました。反語表現はなるべく用いないのが良いようです。(わたし、ウソとかギャグとか言わないように思われるのでしょうかね。)

とにかく、戦後七十年。

お盆参りにうかがったおうちでも、戦争の記憶について伝えてくださる方が結構あります。圧倒されます。大事な話ばかり。
今日の質問者の方の話もやはり奇跡的な逸話でした。
なんまんだぶ。

今日はカタチの上ではわたしが講師だったんですが、それは名ばかりで、メインは、講師の話を聞いてくださっている方の醸し出すあったかい雰囲気とか、上記のような質疑とか、そういうのだったと思います。

高齢者学級は、高齢者のための学級ではなく、ぺーぺーの「講師」を高齢者が導いてくださる、そういう学級だったのだなあと思いました。
なるほど、そういうことだったのだなあ。

なんまんだぶ。

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