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テレホン法話 [法話]

十勝組・帯広西別院 テレホン法話
0155-21-7777

2017年12月1日~15日の担当は石田智秀です。
原稿を公開いたします。
よろしくお願いいたします。

 十勝組テレホン法話、2017年、12月前半です。
 自信教人信 難中転更難(じしんきょうにんしん なんちゅうでんきょうなん)
自ら信じ教えて人に信じせしむること 難きが中にうたたまた難し
 これは中国のお坊さんの言葉です。文字は、自分の自、信じるの信、教科書の教、人間の人、信じるの信で、自信教人信、難解な問題だーの難解の難、中国の中で、難中、デンキョウナンは、自転車の転、夜が更けるや音更の更、そして難しいで、でんきょうなん。
 意味は、「自分で信じた教えを人に信じさせるのは、難しい中でも本当に難しい」ということです。
 この「信じる」というのは、信じ込むというより、もっとゆるく、「いいなと思う」「共感する」、という意味です。ですから、阿弥陀さまの救いを自分で信じこんで、というより、もうすこしゆるく、わたしに救いが届いていた、その証拠が南無阿弥陀仏だった、ああ、すごいな、嬉しいな、と思って、そしてそれを人に勧めていくという意味になります。
 これは、自分を先に考えると、たしかに「難しい!」となりそうですが、でも、自分が信じたのはなぜかを考えると、別のとらえかたも出来ます。
 というのは、わたしが一人で阿弥陀さまの教えに出遇ったのではないからです。阿弥陀さまの救いを、まず誰か、他の人が信じて、それをわたしに教えてくれたから、わたしは、阿弥陀さまの教えを、こうして信じられるようになっているのです。そして、それは難しいことだったというよりは、あり得ないほどに、あることが難しいことだった、あり、がたい、ことだったのです。
 人が「いいな」と思って勧めてくださった教えだから、わたしも「いいな」と思うことが出来る。つまり、自分より先に、人があって、人からわたしへ、わたしから人へ、それがずっと続いているのです。
 全体を通すと、このようになります。
 「人がいいなと思って受け容れて、勧めてくださった、阿弥陀さまの救いの教えを、わたしも聞いて「いいな」と思って受け容れられるようになった。それをさらに別の人にも伝えていく。これは本当に難しい、あることが難しい、本当にありがたいことであった」。そのように、思えてきます。
 自信教人信 難中転更難
自ら信じ教えて人に信じせしむること 難きが中にうたたまた難し
 なんまんだぶ。
 担当は、十勝は音更町の、妙法寺、石田智秀でした。
 ありがとうございます。


※毎月、1~15日、16~末日、2回更新です。
※十勝組の公式サイトで過去の原稿は公開しています。
http://www.tokachiso.com/houwa/houwa_2016.html
最近のは公開できていません。なるべく早く公開したいと思っています。思っています。
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