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そのまま救う阿弥陀さま [法話]

【法話 そのまま救う阿弥陀さま】

 わたしたちは普段から「正しく」あろうとして生きています。わざわざ間違ったことをしようとして生きている人は恐らくそんなにいません。でも、今日は一日ずっと正しいことばかりしていたと振り返ることも、一つも間違わなかったと思うこともありません。

 それでもわたしたちは平然と生きています。正しくあろうとして間違って、それをあまり気にせずに生きています。それどころではなく、家族や友だちの間違いを指摘したり、テレビなどで何かを派手に間違った人のことが報道されると、国民一丸となってその人を叩いて叩いて「のしいか」のようにしたりしてしまいます。

 かと思うと、ふとした時に突然、過去の自分の間違いを急に思い出して、自分は一体なんてことをしたんだろうと反省し始めたり、逆に、その間違いのきっかけを自分以外の誰かに押しつけようとしたりもします。

 正しく生きようとして、正しく生きられず、それを苦にたりしなかったり、突然に反省したり、自分が悪いんじゃないと思おうとしたり……。

 つまりわたしたちは、自分にも他人にも正しくあることを求め、それでもずっと間違い続けながら生きているのだと思います。

 では、そうやって間違いながらしか生きられないわたしたちが、何か確かな「正しさ」を見つけ出して、その「正しさ」をつかみ、それに基づいて「正しく」生きようとしたら(そしてそれを他人にも薦め、求め、結果的に押しつけたら)、どうでしょう。

 きっと、間違いながらしか生きられないわたしたちが見つけた正しさは、残念ながら、それほど正しくないのではないでしょうか。

 正しく生きようとして間違い続けるわたしたちの前に、わたしたちの考える善悪を超えて開かれているのが仏教です。

 阿弥陀仏の救いは「そのまま」の救いです。これは、「間違った!」と思っても「そのまま」突き進めということではありません。正しくあろうとして、間違って、より正しくあろうとして反省して、……でもまた間違ってしまう、そういうわたしたちを「そのまま」救うのです。

 わたしたちを導いて正しくしてから救う阿弥陀さまではありません。正しくあろうとして間違い続けるわたしたちだから、そのまま救う阿弥陀さまです。

(2020年にお世話になったとあるお寺の寺報用の原稿です。)
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