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遮られることはない 「無明長夜の灯炬なり」 [日記]

【動画を更新しました】



2023年7月1日 妙法寺 あさまいりです。

阿弥陀仏がわたしを救うはたらきを、何ものにも遮られない「光」にたとえることがあります。実際の光は簡単に遮ることができますが、阿弥陀如来の救いは何にも遮られない、と。

重力は本当に遮断できないらしいので、つまり常に働いている完璧なはたらきをたとえるなら光より重力なのかなと思ったりします。

また、「光と重力と電気は、そもそも同じモノ」とか「3つは同じ速さだよ」とか聞くにつけ、ものごとを表面的にでも知っていけば知っていくほどにわからないこととかそれを知りたいと思うことによるストレスとかが溜まっていくんだなあと思ったりします。

ご讃題は

無明長夜の灯炬なり
 智眼くらしとかなしむな
 生死大海の船筏なり
 罪障おもしとなげかざれ
(親鸞作『正像末和讃』より)

です。

現代語訳(浅井成海『聖典セミナー 正像末和讃』)
 阿弥陀如来の誓願は、煩悩に迷う衆生の心を照らす大きな灯火(ともしび)であるから、智慧の眼が暗いと悲しむことはないのです。阿弥陀如来の本願は迷いの大海での救いの船、筏です。だから罪深いと決して嘆くことはないのです。p.126

わたし自身が自分のことをあれこれ考えて自信(?)をなくしても、まったく心配はないというか、阿弥陀仏の救いの力はそういうのと関係なく、わたしの「罪障」をものともせずに、今まさにつねに大きくはたらいているから、ぜったいだいじょうぶ、全然だいじょうぶ、というご和讃です。

なんまんだぶ。
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