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だって神社は宗教施設ですから。 [政教分離]

 最高裁で、市有地に神社があるのは違憲だ、という至極あたりまえの判決が出ました。市有地に仏教のお寺があっても、キリスト教の教会があっても、イスラムのモスクがあっても、ユダヤ教のシナゴーグがあっても、神道の神社があっても、そりゃ違憲です。だから当たり前の判決です。以上。

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神社に市有地無償提供は違憲
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015108381000.html
(NHKオンライン)
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市有地の無償提供は違憲=神社敷地で使用-政教分離、別基準示す・最高裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010012000582
(時事ドットコム)
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砂川市有地を神社敷地に提供、最高裁が違憲判断
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100120-OYT1T00777.htm
(読売オンライン)
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 以下、蛇足。

 神社やお寺はもはや「風景」だと思いこんでいる人も多い現況ではありますが、しかし「神社は宗教じゃない」と言う人は、宗教についてもっと勉強してから発言しないとダメだと思いマス。

 だって、神社が宗教じゃなかったら、初詣もおみくじもお守りも厄払いもお札もお参りも礼拝も何もまったく意味がないでしょう。しっかりしましょう。政教分離とかなんとかそういう問題以前に、神社は歴とした宗教です。当たり前です。

 ただ、違憲判決が出たからと言って、タチドコロに撤去とか取り壊すとか、そういうことはしない方が良いと思います。政教分離を守るのは当たり前。それを大前提としつつ、土地を神社に売るなり貸与するなり、最高裁も言ってるように、なるべく多くの人が納得するような方法を模索するのが良いと思います。

 今回の神社の場合は、しかし建物の中にあるんですねえ。これは行政の怠慢か、何か勘違いしていたとしか思えない。なんでこんな変な状態で長年放っておいたんだろう。不思議すぎる。

 一般市民がこのニュースに接して、勘違いをもとに「市有地に神社がある!これで良い!」と言うのであれば、まあ仕方がないかな、知らないんだから、これから知っていけば良いな、とは思うけど、でも行政の側がこんなことで訴えられるなんて奇妙すぎる。指摘を受けたところで「あっ!ほんとだ!」って、あわてて改善しておかなければならなかっだろうに。(なんで裁判なんてしてるんだろう。はずかしすぎると思う。)

 ただ、繰り返しになりますが、今までそこにあったものをいきなり撤去とか壊すとかそういうことをするのもおかしいと思います。

 今まで気づかずに放置していた行政の側の責任も重大ですから、‥‥というか、行政の側が先に気づいて「あっ!これおかしい!」と言って改善策をとうに取っていなければおかしな事態だと思います。

 わたしには、神社側を責めることはできない気がします。だって政教分離なんてわからないで暮らしてるヒトがほとんどだと思いますから。

 何も知らない人は「神社は宗教じゃない」と言っちゃうかもしれない。そういうところで重要なのは行政だと思います。失礼な言い方になるけれど行政サイドはそういう人を「啓蒙」すべきでしょう。だから一方的に神社側に非を持って行くのはおかしい。神社側は行政側の怠慢を突いて、そして着地点を模索すれば良いと思う。

 ですから、形式的には、神社と行政の「痛み分け」的に。実質的には神社側に極めて有利なように。

 神社は宗教施設として特定の人たちの「心のよりどころ」になってるんですから(わたしの心のよりどころでは全然ありませんよ、念のため)、行政の側も無下には出来ません。超法規的措置とかも総動員して、行政はきっと神社の建ってる土地を売るなり貸すなりしていくんだろうなあ、と、行政のそういうのに完全に疎いわたしですが、今はそのように思っております。

 以下、記事。

神社に市有地無償提供は違憲
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015108381000.html
(NHKオンライン)

自治体が神社に敷地を無償で使わせていることが政教分離を定めた憲法に違反するかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は「特定の宗教を援助していると評価されてもやむをえない」と指摘して、憲法違反だという判断を示しました。

この裁判は、北海道砂川市が市の所有地に建てられている「空知太神社」に敷地を無償で使わせていることについて、地域の住民2人が、特定の宗教に便宜を図ることを禁じた憲法に違反するとして、神社を撤去し、土地を明け渡すよう求めていたものです。市は「建物は町内会館としても使われており、宗教的な意味合いは薄い」と主張していました。20日の判決で、最高裁判所大法廷の竹崎博允裁判長は、今回のようなケースが憲法に違反するかどうかは「施設の宗教的な性格や敷地を提供する経緯、それに一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきだ」という基準を初めて示しました。そして、「建物は神道の神社の施設に当たり、行われている祭事なども宗教的な行事で、一般の人の目から見て、特定の宗教を援助していると評価されてもやむをえない」と指摘して、政教分離を定めた憲法に違反すると判断しました。そのうえで、1審と2審が命じた神社の施設を撤去する以外にも有償で土地を譲渡したり、貸し付けたりするなど、憲法違反の状態を解消する適切な方法があるとして、札幌高等裁判所で審理をやり直すよう命じました。神社の多くは戦後、国から土地の払い下げを受けましたが、そのまま国や自治体の土地に建っている神社も各地に残され、専門家によりますと、少なくとも1000か所はあるとみられるということです。政教分離をめぐって最高裁が憲法違反だと判断したのは、愛媛県が靖国神社への玉ぐし料を公費から出したことをめぐる平成9年の判決以来で、2件目になります。

市有地の無償提供は違憲=神社敷地で使用-政教分離、別基準示す・最高裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010012000582
(時事ドットコム)

 北海道砂川市が市有地を神社の敷地として無償で使用させているのは憲法の政教分離原則に反するとして、住民が違法確認などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は20日、従来の「目的効果基準」とは別の憲法判断基準を示し、市有地の無償提供を違憲と判断した。その上で、違憲状態を解消する方法をさらに審理するよう、二審判決を破棄し、札幌高裁に差し戻した。

 政教分離原則に関する最高裁の違憲判決は、1997年の愛媛玉ぐし料訴訟に次いで2件目。

 14人の裁判官中8人の多数意見。憲法判断では、差し戻しに反対した1人を含む9人が違憲、1人が合憲とし、4人は判断できないとした。

 この神社は、町内会館と併設された空知太(そらちぶと)神社。

 判決で大法廷は、公有地を無償使用している宗教施設について、歴史・文化財的な建造物が少なくないほか、寺社の敷地が戦前、官有地に編入された経緯からいまだ公有地上の施設が相当数あると指摘。これらの事情は重要な考慮要素になるとし、目的効果基準を用いず、「施設の性格、提供の経緯や態様、一般人の評価などの諸事情を考慮し、社会通念に照らして総合判断すべきだ」とする別基準を新たに示した。

 その上で、砂川市の無償提供に関し「氏子集団の神社を利用した宗教的活動を容易にする効果があり、一般人の目から見て、市が特定の宗教に便宜を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」とし、公の財産を宗教団体の便宜のため利用してはならないとする憲法89条違反と判断。また、宗教団体への特権付与に当たり、信教の自由を保障した憲法20条にも反するとした。

(2010/01/20-19:16)

砂川市有地を神社敷地に提供、最高裁が違憲判断
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100120-OYT1T00777.htm
読売オンライン

 北海道砂川市が市有地を神社の敷地として無償で提供した行為が、政教分離原則を定めた憲法に違反するかどうかが争われた2件の訴訟の上告審判決が20日、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)であった。

 大法廷はこのうち1件の訴訟について、「市が特定の宗教に特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」と述べ、違憲と判断した。政教分離訴訟で最高裁が違憲判断をしたのは1997年4月の愛媛玉ぐし料訴訟判決に次いで2件目。

 問題になったのは、同市内の「空知太(そらちぶと)神社」と「富平(とみひら)神社」の敷地。市民が市長を相手取り、公有財産の管理を違法に怠ったとして、神社の撤去などを求めていた。

 違憲判断が示されたのは、空知太神社を巡る訴訟。判決によると、同神社の建物は町内会館と一体化しており、鳥居などとともに市有地上にある。

 市側は「建物は全体で評価すると町内会館であり、特定宗教の援助にはならない」などと主張したが、判決は、敷地内に鳥居があり、建物内部に祠(ほこら)があることなどから、「神社施設にほかならない」と指摘。また、氏子集団が祭事を行っていることから、「敷地を無償で使用させる行為は、市と神道とのかかわり合いが社会的に相当とされる限度を超える」と述べた。

 ただ、大法廷は違憲状態の解消のため、1審・札幌地裁、2審・札幌高裁が認めた神社施設の撤去以外にも、市有地の譲渡などの手段があり得ると例示。他の手段があるかどうかについて審理を尽くすよう、同高裁に差し戻した。

 一方、富平神社の訴訟は、市が、市有地だった神社敷地を町内会に無償譲渡した行為の違憲性が争点になった。大法廷は無償譲渡自体は「違憲の恐れのある状態」を解消するための措置だったとして、合憲と判断した。

(2010年1月20日15時28分 読売新聞)



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plant

こんにちは。
どうしてそんなに強く本件について書こうと思ったのかな? と思いました。
「神社は宗教じゃない」という人との論争でもあるのでしょうか?

「宗教についてもっと勉強してから」というよりは、“憲法について”ですね。
今回の判決の正当性は、「無償」と「宗教法人(団体)」がポイントです。
公有地に“宗教施設”があること自体は、よくあることですし、必ずしも違憲ではない、と私は解釈しています。(例:お供えする人がいる路傍仏が国有林にある場合・公有施設を貸借している会社が社内専用の小さな稲荷社を設けている場合・・・)
このあたりの論理が、「宗教」という言葉を広く使うと混乱します。
ちなみに、「神社は宗教ではない」という人については、宗教や憲法を知らないのではなく、政教一致的な政治思想の持ち主だ、と解釈する方が本質に迫っている場合もありそうです。

一般論として、“政教分離”という言葉で何かを裁こうとする場面では、憲法20条などを離れて言葉が独り歩きしていることが多いので、気になりました。

by plant (2010-01-21 00:17) 

からま

「市有地に仏教のお寺があっても、キリスト教の教会があっても、イスラムのモスクがあっても、ユダヤ教のシナゴーグがあっても、神道の神社があっても、そりゃ違憲です。」

しかし、神社以外なら見逃してもらせる、という状況は不当だと思いませんか?
by からま (2010-01-21 01:08) 

chishu

こんにちは。おひさしぶりです。

具体的な論争はありませんが、地元の神社の宮司さんが書いた文章の冒頭に「神社は宗教ではありませんから」的な言葉があって、その内容が地域の人の一部にそのまま漫然と受け容れられているという状況があります。たぶん無意識のうちにソレを念頭に置いて書いてました。また、靖国について大学生の時に友だち二人と話していて、それさえ宗教でないと二人から熱く語られて大変に面食らった記憶も影響しています。

ブログのマイカテゴリの中に「政教分離」を設けているくらいですから、これはわたしにはとても重要なテーマなんです。

> 「宗教についてもっと勉強してから」というよりは、“憲法について”ですね。

‥‥いや、やっぱり宗教についてですね。

何が宗教なのか、何が宗教じゃないのかは、神社の場合ものすごく容易に判断が付きます(上の文章を参照)から憲法以前の問題です。また憲法は解釈が入り込みますが、神社が宗教か否かについては解釈なんて入りようがありません。

また、仏像は施設じゃないですよね。同様に、「お供えする人がいる路傍仏」は宗教施設ではありません。施設というのはもっと大きなモノです。

> 本質に迫っている場合もありそうです。

それはその通りです。その場合「も」あります。しかしそこまで確信してる人はごくごくごくまれですし、そういう人の場合は、その次にその通りの内容を発言しますから、わかりやすいです。

創唱宗教だけが宗教だと勘違いしている、民族宗教その他について「知らない人」が、政教一致の政治思想の持ち主とは比較にならないほど多いです。たとえば上記の宮司さんのように。

一般の人が専門家だと思って頼りにしてる人でも宗教をまったく知らない場合があるんですから、非専門家を自認している人については推して知るべしでしょう。

> 一般論として、“政教分離”という言葉で何かを裁こうとする場面では、憲法20条などを離れて言葉が独り歩きしていることが多いので、気になりました。

これはまったく同意です。公明党が政治活動をしているのは政教一致だ!と言って怒るお坊さんがうちの宗派にもいるんですけど、逆です。政教分離がしっかりしているから、だから公明党が政治活動に参加出来ているんです。

そんなことさえわからずに政教分離を語ってるつもりで実際にはなんも言ってないのと同じか、悪くすると間違ったことを垂れ流してる人が多くて、ほんとに困ってしまいます。
by chishu (2010-01-21 01:30) 

chishu

<からまさん

はじめまして。絡んでくれてありがとうございます。「神社以外なら見逃してもらせる、という状況」は、具体的にどういうのを指してますか?
by chishu (2010-01-21 01:32) 

Miyabi

はじめまして。
この件に関して気になったことがありましたのでコメントしました。おっしゃっていることは理解できますし、筋は通っていると思います。しかし、一つの見方として言わせていただきます。私は原告がクリスチャンだと知って、もし、これが神社ではなく、教会だとしたら訴訟しなかったのではないかと思いました。土着宗教をキリスト教徒が追い払いたいだけでは。このように腑に落ちない思いがあります。
by Miyabi (2010-01-21 18:10) 

chishu

<Miyabiさん

はじめまして。筋が通って見えるなら嬉しいです。ときどき自信がないです。たぶん長すぎるのがいけないのだろう‥‥(「ときどきかよ!」という突っ込みが来そうだ)

> 土着宗教をキリスト教徒が追い払いたいだけでは。

それはないんじゃないでしょうか。他のクニや地域では違う場合もあるようですけど、このクニにおいては、逆に、追い払われたり、追い払われそうになったりした伝統を持つ宗教ですから、他者を追い払うことについては殊更に、すごく敏感なんじゃないかなあ、と思います。
(明治までずっと禁制で、追い出すどころじゃなくフツウに拷問されてコロされてましたからね、キリスト教。『沈黙』とか読むと泣きたくなります。)

また、原告の訴えはひどく「当たり前」のことですし、でもどちらかと言えばものすごい「潔癖」な感じもするので、それで考えると、‥‥もしかして自分の所属している教会が公有地に建っていると知ったのだとしたら、この方は恐らく、本部みたいなところがもしかして「まあ良いじゃないか、だまっとけばわからん」と言ったとしても、きっと内部告発して、すごい勢いで改善するための運動をする、そういう勢いのある人に、わたしには思えます。

キリスト教徒の方は、わたしの個人的な交友の経験から来る印象に過ぎませんが、真面目で素直で謙虚な方が多いです。(いや坊さんがひどすぎるのか。)

まあ、しかし、ご本人に聞いてみないとわかりませんね。

原告の方はわたしの友だちの知り合いらしいので、そのへんどうなのか、おいおい聞いてみたいです。

ということで、そういう意味での腑に落ちなさは、わたしはないです。
by chishu (2010-01-21 20:25) 

からま

>「神社以外なら見逃してもらせる、という状況」は、具体的にどういうのを指してますか?

返信ありがとうございます。
具体的には、仏教施設としての色彩が強い東京都慰霊堂や、キリスト教聖人を顕彰する二十六聖人記念レリーフ像などです。
しかし、これらは訴えられることはありません。

何が宗教であって何が宗教でないのかは、容易に判断つく問題ではなく、近代の論理の限界をしめしています(「イスラム教」を近年、「イスラーム」と呼び変えようとする運動があるのは、イスラム社会の、どの要素が宗教的で、どの要素が宗教的でないかを判断することが無意味だからです。イスラム教という呼称は、ヨーロッパ社会の偏見だという意見なのです)。
しかし、裁判でそこまで考慮されたとも思えず、裁判官の神社が宗教でないという意見は、詭弁です。

>同様に、「お供えする人がいる路傍仏」は宗教施設ではありません。施設というのはもっと大きなモノです。
今回の裁判の神社は、まさにこれだったのですよ。そこをご理解いただきたいところです。
「路傍仏」ではなく「ほこら」だったわけですが。
今回の判決は、路傍の神仏を「宗教施設」だと認定し、公有地のうえにあることを否定したのです。
しかし、実際には神社のみが非難の標的とされている。ここが不公平です。

政教一致が正しいとも、古い宗教だから正しいとも思わないです。
しかし、「自由主義」の限度を超えて、政経のみならず宗教までが「新自由主義」(ネオリベラリズム)の風潮になるのは許せないことです。この裁判は、復讐裁判であって、正義の実現の理念があったとはいえません。
by からま (2010-01-22 06:11) 

chishu

> 仏教施設としての色彩が強い東京都慰霊堂

Wikipediaで見たところ、設立時の目的は関東大震災等の「鎮魂」や「慰霊」なんですね。でも今は仏教各宗派が中心になって法要をおこなっている。(ご本尊みたいなのがあるかどうかまでは写真ではわからなかったけれど、どうも何かが安置されているっぽいように見える。)

ということは、空知太神社の問題とは異なるように思います。空知太の場合は、最初から神社以外の何ものでもないものが神社として建てられ、神社として利用されている。そこが問題になった。

東京慰霊堂は名前の通り「慰霊」が目的で、べつに特定の宗教のために建てたつもりはなかったけれど、たぶん当時は仏教のお寺ばっかりが周囲にあったり、お寺が今より元気で人々の心のよりどころになっていたりした面があったりで、中心になって儀式をすることになり、‥‥その実績が積もり積もって現在にいたって、結果的に、特定の宗教ばかりが利用していることになっている、ということのように思います。

ならば、その状況を変えれば良いんじゃないかと思います。つまり、自称無宗教を含む仏教以外の宗教の人も違和感なく参拝・慰霊?ができるような形式に改めていくことで解決すべきでしょう。目的は問題なし。運営方法に一部問題あり、ということですから。

誰か地域の住民の方が自治体に問題提起をすれば(訴訟含む)、そのように改善されていく問題である気がします。場合によっては裁判になるかもしれませんね。


> キリスト教聖人を顕彰する二十六聖人記念レリーフ像

http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/museum/020717/index.html
を参考にして考えると、これは遠藤周作『沈黙』みたいな話がもとになったものなんですね。

これはつまり、当時の日本の公的なモノが一宗教を弾圧しまくった歴史を踏まえての、「直系ではありませんが、でも同じ為政者の立場として、過ちは繰り返しません」という宣言を行うための施設っぽいです。もちろん「慰霊」の意味も込めて26人をレリーフにした。ということのように思えます。

日本史の中に黒々と記されている負の歴史の遺産を、精神的なところのみならず、モノでも残して伝えていくために重要な、大切な施設であるようにわたしは思います。

ここで何かキリスト教の人たちが儀式を行うとしたら、それは建物が建てられた目的とは違うとしても、仕方のないことでしょう。

ということで、空知太の問題とはまったく違うと思います。


> これらは訴えられることはありません。

そう決まったもんでもないと思います。今後は訴えられるかも知れません。


> 何が宗教であって何が宗教でないのかは、容易に判断つく問題ではなく、

そうですね。「宗教学者の数だけ宗教の定義がある」とまで言われてます。(‥‥この段落のここ以降、何がおっしゃりたいのかよくわかりませんでした。参考として、友人はmixiで宗教を「宗とは宗旨、教とは教義、つまり自分が旨、つまり判断の基準としている教え、主義。。。」と定義してました。広いですね。)


> >同様に、「お供えする人がいる路傍仏」は宗教施設ではありません。施設というのはもっと大きなモノです。
> 今回の裁判の神社は、まさにこれだったのですよ。そこをご理解いただきたいところです。
> 「路傍仏」ではなく「ほこら」だったわけですが。

今回の空知太の神社はきちんと神社として機能していますから、宗教施設です。「ご理解いただきたい」と言われても困ります。そんな誤解はできません。(きぱっ
それに、きちんと神社として機能している神社に対して宗教施設でないと言うのは、関係者の方に対して非常に失礼なことになる思いますが‥‥。


> 実際には神社のみが非難の標的とされている。ここが不公平です。

(言葉が抽象的すぎて、訴訟においてか、判決においてかが不明確ですが)神社のみが非難の標的とされているなんてことはないと思いますよ。

お寺その他が公有地に建っているケースも複数あるそうで、地元のニュースでさえ、今回の判決を受けて、それらも今後問題になっていくだろう、と伝えていました。

> 政教一致が正しいとも、古い宗教だから正しいとも思わないです。

それはそうでしょう。

> 「自由主義」の限度を超えて、政経のみならず宗教までが「新自由主義」(ネオリベラリズム)の風潮になるのは許せないことです。

お金は絡んでますけど、経済とは全然、別の話の裁判ですよね? 「許せない」という思いは、具体的にどこに向けられていますか?

> この裁判は、復讐裁判であって、正義の実現の理念があったとはいえません。

うーん。何か混乱がある気がします。何から何への復讐裁判でしょう? そして正義ってなんでしょう? 復讐とか正義とか抽象的に言わず、具体的に考えた方が良い気がします。

わたしには、今回の裁判は復讐裁判に思えません(何から何への復讐なのかが分かりません)。また、裁判は訴訟を粛々と扱うものであって、定義の曖昧な「正義」の実現を目指しているものであるとも思えません。

ただ、ネットを見る限り「あっちは良くてこっちは良くないのか!」と思った人は結構いるようです。

しかし最高裁に「あっちはよくてこっちはよくない」と主張する意思がないのは明白に思えますから、問題があるなら個別に一つ一つやっていく、今回の判決はそのためのモデルケースになるでしょう。だから、今後似たような裁判が、宗派や宗教を越えて展開されていくのではないでしょうか。

東京の慰霊堂や長崎のレリーフも、わたしは上のように考えましたが、からまさんのように、そうは考えない方もいるでしょうから、裁判を含めて、新たな展開が出てくるかも知れません。

最高裁で結論が出たからこれで結論、一件落着! なんてことにはなりません。最高裁の違憲判決って、ものすごい長いものの始まりに過ぎない場合が多いです。

ということで、わたしには、今回の裁判では「宗教行為を目的としている宗教施設が公有地に建てられているのは問題だ」という訴訟が起こり、争われ、「そりゃそうだ」という当たり前の判決が出た、それだけに思えます。
by chishu (2010-01-22 18:21) 

plant

こんにちは。
長いコメント欄もひととおり読んで、よく考えてみました。
どうやら私は、「宗教についてもっと勉強してから発言しないとダメだ」という部分に対して、おかしいぞ、と感じているようです。
現職僧侶の方に言うのも変かもしれませんが、そんなに確実な見解を「宗教」に関してお持ちなのですか、それは独断ではありませんか、という気分になります。

chishuさんも指摘しておられるように、「宗教」の定義は様々です。
従って、例えば、「神社は宗教じゃない」という見解も、その人の定義による「宗教」ではない、という意味でなら論理的に正しいのです。だからこそ、「宗教」ではなく“憲法(の“テクスト”)について”ですね、と指摘しました。(“テクスト”は、文学論用語のニュアンスで。「宗教」の定義や憲法の解釈は色々でも、“書かれたもの”は唯一定まっています。)
また、返信コメントで、「確信している人」は構わないが大多数の「知らない人」はダメだ、という意味のことが書かれていますが・・・。
布教者としてならば、「宗教」とは何か、なんて考えたこともない普通の人の感性を大切にする方のほうが、私には好感が持てます。

chishuさんは、「宗教」という言葉で何を言っているのでしょうか?
私には、この記事や一連のコメントの中でさえ、都合良く色々な意味に使い分けられているように見えます。
もしも、ご自身の信仰だけでなく、政教分離などの社会的な問題を考え続けるおつもりならば、詳しく検討してみて欲しい、と思いました。

なお、判決自体は妥当で、わざわざ言及するまでもない、というくらいに思っています。
ただし、コメント欄の他の方の考えにもそれぞれ参考になったり納得する部分もあります。直接的な被害を受けているわけでもないのにわざわざ裁判沙汰にした原告の思想背景も気になりますので、納得できる司法判断が為されたからと言って、それほど嬉しくもありません・・・。
by plant (2010-01-25 00:25) 

chishu

> chishuさんは、「宗教」という言葉で何を言っているのでしょうか?
> 私には、この記事や一連のコメントの中でさえ、都合良く色々な意味に使い分けられているように見えます。

 「あっ」、と思いました。「宗教的信条」や「信仰」、「宗教施設」とか、そういうふうにココロとモノだけでも分けて書かないと、と思いました。

> もしも、ご自身の信仰だけでなく、政教分離などの社会的な問題を考え続けるおつもりならば、詳しく検討してみて欲しい、と思いました。

 ハイ。今後気を付けてなるべく上記の言葉等に分けて書きます。

 わたしの「宗教」の定義はご指摘の通りたぶんガリガリの独断ですが、「神社は宗教だ」というのは独断ではありません。宗教学的には常識です。また、高校の「現代社会」か「倫理政経」かで一応、習うだけは習いましたから、それほど一般常識から逸脱した考え方でもないと思います。(ただし、そのときに最初は「神社なんて宗教じゃないじゃん?」と私自身が思った記憶がありますから、かなりややこしいですね。)

 逆に、自分で独自に「神社は宗教じゃない」と定義するのは、たとえ「論理的」には正しくとも、一般的な宗教学と著しく異なりますから、「この神社、つまり宗教施設が市有地に建っているのは合憲か?違憲か?」について多くの人と共通の地平で話すことは出来なくなると思います。


> 「宗教」とは何か、なんて考えたこともない普通の人の感性

 わたしには、「宗教的信条」や「信仰」、「宗教施設」について考えたこともない普通の人の感性を大切にして、それに寄り添って味わったり表現したりする能力が、現在のところ明らかに欠けているようです。だからその能力を、努力してなるべく満たしていかなければならない。

 でもだからといって、非専門家の感性だけをよりどころにしていたのでは、神社が「宗教的信条」や「信仰」、「宗教施設」を含めたいわゆる宗教なのかどうかを正確に考えることはできません。

 非専門の立場からの「どういうこと?」という素朴な疑問に寄り添うことは(わたし現状ではそれをあんまり出来ていないけど)大変に大事だと思います。でも、そこに同化するわけにもいきません。ただ、わたしはぜんぜん寄り添えてないので、それをもっと考えて何とかしないといけません。

 専門家には、専門的なことを一般人にもわかるように説明する説明責任がある! と豪語する非専門家を友人の掲示板で以前見かけたことがあります。でもどうも説明の仕方に文句ばっかり言ってて理解する気がなさそうでした。やりとりを見ていて「専門家には説明責任があるとしても、一般人には理解責任があるんじゃないか」と思いました。

 【説明されなければ分からないということは、説明されてもわからないということだ】

 的な言葉を去年ある本で見ました。事実かも?と思いました。というのは、説明されて分かるのは、説明されて受動的に分からされたのではなく、説明されながら主体的に理解しようと思ったからだ、と思ったからです。

 わたしのように文章が長くて説明のヘタな専門家から「神社は宗教だ、なぜなら‥‥」と説明されても、理解する気になれず、分からないのだと思います。もっとうまい人に説明されれば理解しようという気分になって多分すぐ分かると思います。

> また、返信コメントで、「確信している人」は構わないが大多数の「知らない人」はダメだ、という意味のことが書かれていますが・・・。

 そんなふうに書いたつもりはありませんが、そういうふうに読めたというのなら、気を付けて書かないとなりません。(そしてそれとは別に、わたしはもっと文章を短く・わかりやすく、読んだ人が理解しようと思えるように書く努力をしなければなりません。)

> 直接的な被害を受けているわけでもないので

 「宗教施設が市有地に建っていた。市は賃料を徴収すべきなのにしてなかった。」というのは、その宗教を援助していることになります。市のお金は公費ですから、それ以外の宗教の信者の市民にとっては、これは直接・間接に関係なく被害でしょう。

 「仏教とかキリスト教とか、神社以外の施設は問題になってないじゃないか!」と言う人もいますが、それは裏返せば「すべて問題になるべきなのになっていない」ということであり、つまり公有地に宗教施設があるのは問題だと言っている。(でも個別のモノを具体的に考えると、どうも仏教やキリスト教の施設ではないように思えます。)

> 原告の思想背景

 友人によると牧師です。つまりプロテスタント。漫然としているうちにプロテスタントになることは非常にまれですから、そういう意味で、市有地に神社があることを疑問に思う下地は用意されていたのでしょう。
by chishu (2010-01-25 19:34) 

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