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○○が××を食べた。 [生命学]

昨日、うちのネコがトリを食べた、と日記に書きました。

わたしとしては結構おどろいたのです、だってうちの ちび は相当な老猫なのです。そんな彼があんなに敏捷なトリを獲るだなんて。昔はよく獲って食べてるのを見ましたが、この歳になってまだ獲るとは! という驚きでした。しかし食べ残し加減がいいかげんで、ああ、うう、トリさん可哀想かなと思いました。

しかし、ネコがトリを食べるくらい、どってことないですね。↓

29日に、森岡正博さんがツイッターで
日本人男性、自分の性器を医師に切除させ、清潔に処理して調理し、2万円で客(同意の上)にふるまう。この行為は、セクシャルマイノリティ・Xジェンダー・Aセクシャルへの注意喚起のためになされた。日本では食人は違法ではないため杉並署は動いていない。http://news.yahoo.com/japanese-man-cooks-serves-own-genitals-001515144.html

と紹介してくださいました。驚きました。

今日は今日で、その情報が日本語になってるのを見ました。杉並「保健所」が動き出した、と。感染症か。なるほど……。
「人肉食イベント?:杉並保健所が調査を開始」
http://mainichi.jp/select/news/20120602k0000m040102000c.html

……また、アメリカの高速道路で、全裸の人が別の人の顔を食べた、という話を見ました。日本語のページで見ましたが、ココが↓紹介されているので、英語よく分かりませんが、こちらを紹介。

「Naked man shot dead by police as he chewed victim's face off by side of freeway」
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2150585/Naked-man-shot-dead-police-chewed-mans-face-leaving-victim-fighting-life.html

後者は生きてるのを食べちゃうのだから食べられた人が困りますが、前者は食人という禁忌を犯したという以外には、案外問題がないのかもしれないなあと思いました。(いや、わたしはイヤですよ? 誤解なきように。)

医療関係の治療その他では、経口や非経口で、他の人体の一部を摂取するとか、とりこむとか、そういうのはよく行われています。

大学院の先輩は、おつれあいが子どもをうんで、胎盤を二人で食べたと言ってました。病院じゃなく助産師さんのいる施設で生んで、よく焼いてもらって食べた、美味しかった! と。そういうことがあると何かで知った直後に聞いたのでそんなには驚きませんでしたが、実際に食べた人の感想を聞いたのはそれが初めてでした。「栄養面からいくと生んだ人は食べた方がいいらしい」と言っていたような気もします。

臓器移植は、食べるわけではありませんが、他者の人体の一部を自分の体内にとりいれるものではあるわけです。輸血もそうです。「臓器移植反対!」と言う人に「賛成!」の人が「輸血もダメですか?輸血だって臓器移植ですよ!」と言って驚かしたり脅したりする場面がありますが、血液も機械では作ることができませんから「臓器」と言って過言ではない部分があります。なので、輸血も、じっくり冷静に眺めたら、臓器移植のようなものではあります、ただ、血液を提供する人は死なないし、もともと健康に多大な影響があるほど採るもんではありませんから、「まったく同じ」とは言えません。「同じ面がある」と言うべきだろうと思います。輸血ということに違和感を感じない人は臓器移植のすべてを認めるべきだ、という言い方になると、ちょっと違う気がします。

心臓とか肝臓とか以外に、硬膜も、骨も、臍帯血も、皮膚も。機械や培養技術では作り出せないものを「こっち」から「あっち」に移動させる系のものは、目に見えた「臓器」以外にもいろいろあったのでは。

そんなふうに、人体は案外「食人」というイメージでないなら結構にんげんによって摂取されているものではある。

だけど、今回のペニスや顔面の話を聞くと、やっぱり「えっ?」と思うし「やめてくれ!」と思う。それってなんでだろう?と思うと、

・モノのカタチが残っているのを
・口で摂取する

ということが、まずすごく違和感というか、拒否感になるのだろうなと思います。他の方はどうかわかりませんが、わたしはそうです。また、

・必要に迫られていないものを
・嗜好で摂取する

ということもあるのかなと思います。『ハンニバル』の怖さもそこでした。「なんでそんなことするの? 豚も牛も美味しいお肉はいっぱいあるじゃない? なのになぜあなたは人じゃなきゃだめなの?」と。

辺見庸の『もの喰うひとびと』にも出てきますね、人肉食。
武田泰淳の『ひかりごけ』にも出てきますね。
原一男『ゆきゆきて、神軍』。
飛行機が遭難して……という実話もありますね。
「ぞわぞわ」が文学的なテーマになるのでしょうね。

有史以前の人類は結構ヒトを食料にして喰っていたとも聞きます。「その証拠の一つが貝塚だ」と。貝塚からはその名の通り貝がゴロゴロ出てくる。一緒に人骨もいっぱい出てくる。「なんで?」と思ったら「喰ってたから」と。ゴミを捨てる場所を決めて、そこに食べかすを捨てた。貝の殻は必然的にそこに捨てることになるし、動物の肉を食べたら骨が出る、それもそこに捨てる。ヒトを食べたら、その骨もそこに捨てる、バラバラの人の骨が貝塚から出てくるということは、そういう面もあったようだ、と、高校の時に聞いたのだったか。

でもそれは「必要に迫られて」ということだったのでは?と思いたいです。筒井康隆のある小説に還暦を過ぎた人間を栄養源として喰う話があります。あれも必要に迫られてのことでした。あんな感じで。

または、有史以前か、あるいは有史以後も、人間が人間を積極的に喰うことがあったそうです。どういうことかというと、戦いで、強い相手を倒したら、相手の力を自分の力とするために相手の一部を喰う、そういうことが行われていたと聞きます。何かの小説では敬意を持って食べるか何かそういう場面があったような気がします。SFだったろうか。

なので、「カニバリズムには二種類ある」。食料として人肉を食するのと、パワーを得るために強い相手を殺して呪術的に喰うのと。

今回のペニスは、違いますよね。たぶん。なんで食べるのか。まあ、嗜好なのでしょうが、でも何か理由があって「食べずにいられなかった」というところまでいったうえでの嗜好だろうと思うので、それは広い意味で言えば「必要に迫られて」ということであるのかもしれません。興味本位でそこまでするとはちょっと考えづらいので、何らかの呪術的な要素や要請があったのではと思いたいです。

顔を食べたのは、……どうも変わった人だったらしいから、これは端から呪術的な面があったのかなと思います。(アンパンマンフリークってわけではないですよね。アンパンマンの顔を食べてみんながアンパンマンのパワーを手に入れられるならそれはそれで素晴らしいことだと今ちょっと思ったがそれは潔くおいておこう。)

ということで、どちらも呪術的な要請によるのだと、今のわたしは思っています。呪術ってことは、これはまさに「野蛮人」であるわけです。

これらの行為や行為者を非難するなら、わたしは感情的に「野蛮人!」と言うことにしようと思います。しかしわたしいちおう野蛮人ではなく文明人を目指したいので、ってことは他人をそうやって非難すること自体を避けるべきかなあとも思うので(文明人は感情的な非難なんてしないのさフフ)、そんなふうに言わないでいるべきかなあとも、思います。

何が言いたかったのか。

たぶん、「うちのネコがトリを食べるのは、わたしは驚いたけど、驚くにはあたらなかったのかなあ?」 ということです。

ではでは。今日も長くてスミマセン。
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