本人の意思と、「世間体」と。 [生命学]
待ってました!◆幼い子どもの臓器提供―本人同意なき摘出に疑問(森岡正博)(中国新聞2012年6月26日)bakubaku.org/20120626chugok…
— 川口有美子さん (@ajisun1208) 6月 27, 2012
『逝かない身体』でおなじみ、
川口有美子さんのツイートです。
哲学者・森岡正博さんの新聞記事について、
「待ってました!」とおっしゃってます。
わたしも「待ってました!」と思いました。
森岡正博氏「本人同意なき摘出に疑問」中国新聞6/26「移植によって救われるいのちはあり、その事実は重いが、そのことをもって本人の同意なき臓器摘出を正当化することはできない…」マスコミの臓器移植に反対しにくい「空気」作りに危惧と。学ぶ所多い。friendfeed.com/humpty
— 島薗進さん (@Shimazono) 6月 27, 2012
宗教学者・島薗進さんのツイートです。
森岡さんの同じ記事について、
「学ぶ所多い」とおっしゃってます。
わたしも同意見です。
ツイッターをされてない方のために。
その森岡さんの記事は、
http://www.bakubaku.org/20120626chugoku-np-.pdf
こちら↑で読めます。
意思表示が出来ない子どもからの臓器提供。
これは、美談、美談で終わる話ではありません。
マスコミの多くは何か勘違いしているのか
なんでも美談、美談で終わらせて、そこから始めようとしているようですが、
物事はそんな単純なものではないのです。
なお、わたしとしては、森岡さんの意見にほとんど同意です。
そのような意見を表明すると
「移植を待っている子どもが死んでも良いって言うんですか。
あなたの言っていることはそういうことですよ、酷い人ですね!」
という意味のことを言われることもありますが(mixiなどでね)、
そういうことではないのです。
いきなり「はかり」にかけて考えるべき問題ではないです。
その「はかり」は、そもそも、
別の「はかり」の片方の上に乗っているのです、
脳死の人のいのちと、移植を待つ人のいのちをはかって、
後者がより重たいと考えるはかりの上に。
それって、どうなの?
と、わたしは思っています。
ただし、本人がその「はかり」で良いと言っている場合には、
まあ、良いのではないかというのが、改正前の臓器移植法でした。
(本人同意が法的に確認できる場合は摘出可)
だから、わたしは黙認していました。
ギリギリの妥協ライン。
中島みち『脳死と臓器移植法』の方向。
法改正は、悪い方向にいったと思っています。
大人も、子どもも、同様です。
子どもは親権が云々って言い出すかもしれませんが、それにしてもフィリップ.K.ディックの『まだ人間じゃない』みたいな現実が出来するだけではないでしょうか、と結構本気で思います。
まだ人間じゃない (ハヤカワ文庫 SF テ 1-19 ディック傑作集)
- 作者: フィリップ K.ディック
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/03/07
- メディア: 文庫
尊厳死協会の言う似非尊厳死の話もこれと同様の方向に思います。
たいへんに、怖いです。
人の生を終わらせるための何らかの判断がひとたび
美談
で語られるようになると、なかなか歯止めが利きません。
そうなる前にきちんと考えておきたいです。
大丈夫ですか?
以下、関連書籍です。
逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズケアをひらく)
- 作者: 川口 有美子
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 単行本
いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植 (岩波ブックレット 782)
- 作者: 小松 美彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/05/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
脳死関連で、薄くてわかりやすくてすごいのは、
『いのちの選択』だと思います。
ではです。
初めまして。
「美談」に関する点、同意します。
僕自身は改正前臓器移植法にも、「運用」に多くの瑕疵があり、おそらく「脳死」でない方からの臓器摘出もあり得るだろうと考えていますので、基本的に移植医療そのものに懐疑的です。
脳不全は利用し、他の臓器不全は救う。
そこにあるのは「選択されるいのち」であって、その背景に「優生思想」があると考えるからです。
by daisaku613 (2012-06-28 09:08)
<daisaku613さん、はじめまして。
根底には優生思想が間違いなくあると思います。小松美彦氏が一貫しておっしゃってるのもそこですよね。(言及&本のリンク、コロッと忘れました。)
わたしも脳死はフィクションだと思ってます。脳が完全に機能していない状態にある方だけが脳死と診断・判定されるわけでは全然ないことがいろいろ証明されたりしてますから。
ただ、いろいろ問題はあるけれど、本人が「そういう脳死で摘出して良い」という意思表示をしているなら、そして家族もそれを容認したなら、そのフィクションでいく場合があっても良いことにしようかというギリギリの妥協点が旧法だったのだと思っています。
本音を言えば、それは愚行権に限りなく近い気がしますが。
今も、脳死でなく心臓死の場合は、本人が「だめ」という意思表示をしていなかった場合、家族の同意だけで摘出は可能ですから、そのへんも、あれってどうかなあと、ちょっと思ったりもしてます。
わたしも最初は「どうせ死ぬのなら他人に臓器をあげて何が問題なんだろう? それを駄目という人って何を考えてるんだろう? エゴなの? あたま悪いの? 学んでないの?」と、悪意がないつもりで、素朴に思ってました。で、その後いろいろ本当の意味で学ぶようになって、みるみるチエがついて、そういう考え方と出発点とがとても危ないものであることを知ったので、‥‥事実を知ることって、大事だなあと思います。
同じ事実を知れば同じ結論になるわけではありませんが、前提とする知識がなければ話にならないというのは、わかるようになりました。せめてTV以外から学ばなければならない。
わからんから、美談になってしまうんですよね。
せめてこのくらいは知っていてほしい、という知識ラインまで、政府も、JOTも、一般の人に要求しないんですよねえ。これは大変な怠慢だと思っています。「尊厳死」もそんな感じで、イヤです。
by chishu (2012-06-28 10:47)