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浄土真宗 の みおしえ [法話]

 本願寺出版社から発刊されている『浄土真宗のみ教え』という本があります。「浄土真宗 のみ 教え」ではなく、「浄土真宗 の みおしえ」という意味のタイトルです。(「みおしえ」というのは浄土真宗(または仏教)の用語で、「おしえ」に「御」を付け、かつ、「御」を「み」と読んでいます。)

 この本は、浄土真宗の「おしえ」、つまり、教義や考え方、味わいなどを、仏さまや親鸞さま、蓮如さまの言葉を紹介しながら、わかりやすい言葉で解き明かしてくれている本です。その中に「聞くことは信心なり」という項目があります。全文を紹介します。

聞くことは信心なり


 母に抱かれて笑う幼子は、母の慈しみを信じて疑うことがない。慈愛に満ちた声を聞き、ただその胸に身をまかせ、大いなる安心のなかにある。
 親鸞聖人は仰せになる。

聞其名号といふは 本願の名号をきくとのたまへるなり きくいふは 本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり またきくといふは 信心をあらはす御のりなり

 南無阿弥陀仏は、「必ず救う、われにまかせよ」との慈愛に満ちた如来のよび声。このよび声をそのまま聞いて疑うことがない、それを信心という。
 自分の見方をより処とし、自分勝手な思いで聞くのであれば、如来の慈愛のよび声をそのままに聞くことにはならない。
 母の慈愛の思いが、幼子の安心となるように、如来のよび声が、そのまま私たちの信心となる。


 こういう内容です。
 京都の本願寺の常例に出向したとき、講師控室に備え付けてある大量の書籍の中に『浄土真宗のみ教え』もありました。それをぱらぱらと見ていたら、落書きというか、激しく書き込みが為されている箇所がありました。「誰がこんな失礼なことを……!?」と思い、友人たちに紹介したところ、……「この書き込み、ありがたいですねえ」と言われて、「えっ?」と思いました。そんな、わたしは本願寺の備え付けのモノに書き込みをした時点でアウト!みたいに思っていたけれど、そういうものでもないのかも?と、認識をあらためました。
 ちなみに、書き込みでは最後の二段落がこのように書き換えられていました。

「自分の見方をより処とし、自分で聞いてたすかると思っているのであれば、如来の慈愛のよび声をそのままに聞くことにはならない。
 母の慈愛の思いが、幼子の安心であるように、如来のよび声が、そのまま私たちの信心である。」

 本の言葉そのままでも良いけれど、わたしには、どちらかと言うとこっちの、書き込まれたのの方がしっくり来ます。あ、でも、備え付けの本などに書き込みをするのは良くないと思います。特に図書館の本は絶対にだめです。
「絶対はない」? そうかも知れませんが、でも絶対にだめです。

 なんまんだぶ。

拝読浄土真宗のみ教え―親鸞聖人750回大遠忌

拝読浄土真宗のみ教え―親鸞聖人750回大遠忌

  • 作者: 「拝読浄土真宗のみ教え」編集委員会
  • 出版社/メーカー: 本願寺出版社
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本

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