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瓜生崇『なぜ人はカルトに惹かれるのか』法藏館 [本の感想系]

なぜ人はカルトに惹かれるのか  脱会支援の現場から

なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から

  • 作者: 瓜生 崇
  • 出版社/メーカー: 法藏館
  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「カルトという問題を考えるときに最も大事なのは、自分が「正しい」と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということである。」p.114

 よくある(?)カルト脱会経験談や脱会支援本とは一線を画している。
 第一章では、カルト的な面があるのではないかという疑いを持たれることもある「親鸞会」という新宗教に、著者が大学入学のころに勧誘され、入会し、活発に活動し、十年以上を経てやがて脱会するという、壮大な半生記が綴られている。著者自身の経験が赤裸々に、また心の奥底をえぐるように、痛いほどに踏み込んで書かれている。そしてこれが次章以降の普遍的な課題を解く手がかりになる。
 第二章では、無意識のうちに「自分たちは正しくカルトは正しくない」という前提に立ってこの本を読んでいる読者に、その「正しさ」とは何かを問いかけ、その「正しさ」が読者と彼らに何を要求しどう振る舞わせるか、共通項を挙げることで境界の曖昧さを指摘し、その「正しさ」を動揺させる。
 わたしたちは本当に「正しい」のか? 「なぜ人はカルトに惹かれるのか」?。
 広く深い思索から導き出される一つの答えは「正しさ」への依存である。誰もが依拠するその人の「正しさ」こそがすべてを困難にしていくのだ。
 第三章では、カルト等からの脱会支援に携わる著者の立場から、脱会支援は必ずしも「脱会」が最優先ではなく、その人への「支援」が最優先であることが明らかにされていく。
 その人がカルトに入ったのは、弱いからだとか、騙されたからだとか、わたしたちはそう考えがちだが、実はその人の自由意志と判断とによる。であるならば、脱会も、当然のことながら、その人の自由意志と判断とによらなければうまくいかないのである。こちらの正しさを前提とした説得や強制的な実力行使ではなく、相手の言葉にこちらが反応し、時にはブレるような、人と人としての信頼関係が支援の前提とならなければならない。
 『仏説阿弥陀経』で、釈尊は舎利弗一人に語りかける。しかし周囲の者や読者はそれを南無阿弥陀仏に包まれてある自分への語りかけとして聞く。著者は已今当(過去・現在・未来)の「脱会」経験者一人に語りかけるが、周囲の者や読者はこれを「正しさ」に依存して日々を生きる自分自身への語りかけとして読む。
 とはいえ、著者は釈尊のような指導者ではなく、あくまで伴走者である。最後は力強いエールで締める。

「カルトを経験してやめたというのは、私は誰がなんと言おうと素晴らしい経験だと思っているのだ。どれだけ後悔に沈んで、どれだけ罪悪感に苦しみ、どれだけ教祖を憎むとも、その歩みが血となり肉となり人生を輝かせるときがきっとくる。それまで共に歩んでいこう。」p.201

※ 瓜生さん、哲学者の森岡正博さんとインスタライブで対談しました。お二人とも法藏館から著書を出していることから実現した、宗教者と哲学者の56分に及ぶガチンコ勝負! 刮目して見よ!

【インスタライブ対談】(他サイトが開きます)
 
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