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「お盆」って何? YouTubeチャンネル (何をあわていたのか……) [日記]

2021年8月16日 あさまいり 妙法寺(音更)です。
ご讃題(法話の冒頭にいただく聖句)は、親鸞作『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)中の「行文類」所収『正信念仏偈』から

 往還回向由他力 正定之因唯信心
 往くも還るも他力ぞと ただ信心をすすめける

です。



お盆に定番の、目連尊者(お釈迦さまのお弟子さま)とそのお母さんをめぐるお話から、お盆のいわれを味わっていきます。そして最終的には「じつは、浄土真宗ではお盆でなくてもこの世界に還ってこられている!」という話になります。

いつもでしたらYouTubeチャンネルにアップした途端にココに紹介するんですが、今回はなぜかそれを失念していたようです。いまご法話を見直していて気付きました。どうもすみません。

ではでは。なんまんだぶ。

冒頭、走ってマイクを持って来てくれるのは妻です。マイク、何日か前に電池を入れ替えたものを使おうと持っていたんですがなぜかスイッチを入れても使えなくて。その後確認したらコードの差し込みが入りきってませんでした。きちんと差し込んだら緑色のライトがついて使えました。なんまんだぶ。
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ちしゅーのほむほむちゃんねる [法話]

今まで「石田智秀」だったYouTubeチャンネルの名称を変更しました。

「ちしゅーのほむほむちゃんねる」
https://www.youtube.com/channel/UC1LUg_V3YsTbQUkJN4EntTw

  ちしゅー ←智秀
  ほ  ← 法話
  む  ← 無量寿経(浄土真宗の要)

という理由での命名ではありますが、内容がご法話で漢字ばっかりな感じなのにチャンネルの名称がすべてひらがなとい事実に違和感を覚えないでもないので、そのうちこっそりひっそり変更するかもしれません。(次候補も考えてあります。)

あわせて、今まではチャンネルにアクセスすると「このチャンネルにはコンテンツ(内容)がありません」みたいな画面が最初に来るようになっていたのを改善しました。

わたし誤解してまして。

この「内容がない」という表示は、管理者であるわたしだけに表示されているんだと思っていたんです。だって別のどのチャンネルに行ってもそのチャンネル内にあるいろんな動画へのリンクが最初に表示されているから。だからうちも勝手にそうなってるんだろうと思ってたところ、昨日はじめて自分のスマホから「石田智秀」チャンネルにアクセスしたら「内容がない」って出てびっくり。(それなのにチャンネル登録してくださっていた方々ありがとうございます。)

で、よくよく考えて誤解してたことがわかったので、自分のアイコンとトップページの画像を登録し、あわせて最初に出てくる動画を何にするかも指示しました。ちなみにアイコンはTwitterと同じ、トップページのねこねこ画像はFacebookと同じです。

今後ともよろしくお願いします。

今はご法話と漫才だけですが、漠然とですが、ちょっと違う感じの別の動画も登録できたらなと思っています。もちろんあんまり頑張り過ぎずにやれる範囲でやっていこうと思っています。

なお、法話や無量寿経も「ほむほむ」という名前の大きな要素ではありますが、「暁美ほむら」の愛称のひとつが「ほむほむ」であることも少々の要素となってはおります。

ではでは。なんまんだぶ。

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「信心を得た人に導かれないと、信心は頂けないのか」 [法話]

瓜生崇さんは、定期的にいろんな講義をなさっています。
そのときにいろんな質問を受けて、答えてくださってます。
この質問と回答も、なんかとても良いです。

なんまんだぶ、なんまんだぶ。
(2021年8月20日までの限定公開だそうです)



「信心」というのは、浄土真宗と他の宗教とで意味合いがちょっと違います。一般的な宗教でいう「信心」は「わたしが信じる心」で、どれだけ強く信じ込むか?という感じですが、浄土真宗ではそうではなく、「阿弥陀さまからいただく」という感じで、「ご信心」といったりします。このことからもフツーの心でないことが覗えると思います。そういうこともあって浄土真宗の中では「信心を〈いただく〉のはとてもむずかしい」というイメージが一般的です。「信心を得る」「信心を獲得(ぎゃくとく)する」といったりもします。

信心が浄土真宗の「信」の基本であると思われている、と同時に「いちばん難しい」とも思われています。

そういうもんであるなら、信心を「得ている」人に指導されないといけないよね? という感じの質問が来て、瓜生さんはその質問が知らず知らずに根拠にしている「そういうもんである」というところをこそ「ホントにそうなの?」とえぐっていきます。

誰にも聞かれてませんが信心について自分がどう思っているかを言うと、瓜生さんとたぶんちょっと違った表現になるんだと思いますが、「信心というのは、得るとか獲得するとか、そういうふうに言うべきでないということがわかるのが、信心を得た状態なんだ」、みたいなことがひょっとすると言えるのかな?と思っています。でも「これだ、これだぜ! これだったんだ! やったぜつかんだぜ信心!」みたいな感じならそれは違うとも言える。

そしてまた、これは瓜生さんの表現をたしかそのままいただいてよく言っていますが、「南無阿弥陀仏そのものがご信心」です。
 
稲城和上の「与えて持たさぬがお慈悲じゃぞ!」という表現も大好きです。
 
なんまんだぶ、なんまんだぶ。

……知らんけど。
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「九十五種世をけがす 唯仏一道きよくます」あさまいり [法話]

2021年8月1日 あさまいり 妙法寺(音更)です。
ご讃題(聖句)は、親鸞作『正像末和讃』から

九十五種世をけがす
 唯仏一道きよくます
 菩提に出到してのみぞ
 火宅の利益は自然なる

です。


「正像末和讃」のおおよその性質、正法・像法・末法とは何か、「九十五種」とは何か、など一応の説明もしつつ、「末法」の世界では阿弥陀仏の救済こそが真実の救済法であること、また、実は末法に限らず正法でも像法でもやっぱりそうであること、などを話しています。

あさまいりは毎日、朝7時から。
正信偈と、ご和讃の繰り読みをしています。
ふだんは正信偈「草譜」です。
16日だけは「行譜」です。

ご法話があるのは1日と16日です。
おおむね10分から15分くらいです。
お盆の8月16日は、お盆のことなどを話して、30分くらいになる傾向があります。
冬もおまいりはしていますが、本堂が寒すぎるので、ご法話は休止しています。

ぜひおいでください。

【追記】
このご和讃は、善導大師『法事讃』の

「願はくは往生せん、願はくは往生せん。世尊慇懃に身子(舎利弗)に告げて、諸仏の大悲の同じきことを表知せしめたまふ。たがひに徳を讃じて心異なることなく、巧みに時機に応じておのおの功あり。六方の如来みな讃嘆したまふ。「釈迦の出現はなはだ逢ひがたし」と。まさしく五濁の時の興盛なるを治す。無明頑硬にして高峰に似たり。劫濁の時移りて身やうやく小なり。衆生濁悪にして蛇竜に等し。悩濁遍満して塵数に過ぎ、愛憎違順して岳山のごとし。見濁の叢林棘刺のごとし。命濁中夭刹那のあひだなり。依正二報同時に滅し、正に背き邪に帰して横に怨を起す。九十五種みな世を汚す。ただ仏の一道のみ独り清閑なり。出でて菩提に到らば心尽くることなく、火宅に還来して人天を度す。衆等、心を回してみな往かんと願じて、手に香華を執りてつねに供養したてまつれ。」(善導大師『法事讃』註釈版七祖篇 pp.574-575)
をふまえていると思われます。

このご和讃だけでなく、このあたりのご和讃ぜんぶ、そうみたいです。すみません。このご和讃の前のご和讃は、順に……

劫濁のときうつるには
 有情やうやく身小なり
 五濁悪邪まさるゆゑ
 毒蛇・悪竜のごとくなり

無明煩悩しげくして
 塵数のごとく遍満す
 愛憎違順することは
 高峰岳山にことならず

有情の邪見熾盛にて
 叢林棘刺のごとくなり
 念仏の信者を疑謗して
 破壊瞋毒さかりなり

命濁中夭刹那にて
 依正二報滅亡し
 背正帰邪まさるゆゑ
 横にあだをぞおこしける

末法第五の五百年
 この世の一切有情の
 如来に悲願を信ぜずは
 出離その期はなかるべし

となっています。

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スムーズな撮影をめざして [お寺]

1カメ、2カメ、3カメ! を用意してたのに1つ撮りそこね、接続方法が分かってこないだから使ってたマイクは直前になって電池切れに気付き使えず従来のICレコーダ録音となり、さんざんな「あさまいり」撮影となりました。

ご門徒さまは雨のなか来てくださった。
ありがとうございます。
ご法話の内容はそんなに悪くなかった気がする。
希ガス。
記録が残念。
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