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運動会になぞらえて [法話]

2023年6月1日の妙法寺のあさまいりのご法話です。
運動会になぞらえて語っています。
うまくいったのかどうかは不明です。おたしかめください。


ご讃題は

諸仏の護念証誠は
 悲願成就のゆゑなれば
 金剛心をえんひとは
 弥陀の大恩報ずべし

 親鸞作『浄土和讃』「弥陀経讃」からいただきました。
なんまんだぶ。
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紛糾、総長交代 浄土真宗本願寺派 [時事ネタ系]

蓮如作「領解文」の現代版巡り紛糾、総長交代 浄土真宗本願寺派
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20230601/k00/00m/040/045000c
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 浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)の実務トップである総長が31日、交代した。過去最長となる8年8カ月にわたり、連続して総長を務めた石上智康(いわがみちこう)氏(86)に続き、日本最大の仏教教団の宗務を率いることになったのは、石上氏の片腕となる「筆頭総務」だった池田行信氏(70)。門信徒が高齢化するなか、現代の若い世代にも浄土真宗の教えを伝えたいと1月に制定した文書を巡り、両氏ら執行部(総局)は、僧侶・門信徒から批判や疑問をぶつけられてきた。それがトップからナンバー2への「委譲」となり、異例の混乱が収束するか不透明だ。【南陽子】

石上前総長退任あいさつ、異例の30分
 石上氏の辞任に伴う臨時宗会で5月30日、登壇した同氏の退任あいさつは、異例の30分に及んだ。「ご心配をお掛けしておりますので」と前置きして述べたのは、1月16日に宗主の大谷光淳門主(45)から発布された、信仰の要点を分かりやすくつづった「新しい『領解文(りょうげもん)』(浄土真宗のみ教え)」の制定をめぐる「主要な事実」。発布に至る手続きの正当性を事細かに説明し、同文書の取り下げを求めている「勧学・司教 有志の会」を名指しで批判。「『み教えの肝要が広く、また次の世代に確実に伝わる』ようにとのご門主のお心にそうべく、1日も早く宗門の秩序が回復されるよう切に願う」と強調した。

最高位学識僧「勧学」ら、総局と対立
 石上氏が対決姿勢を鮮明にした「勧学・司教 有志の会」は23日、西本願寺近くのホテルで記者会見を開いた。勧学とは、教義に精通した同派最高位の学識僧。同会には深川宣暢代表(70)=龍谷大名誉教授=をはじめ、4人の勧学と、勧学に次ぐ司教15人が名を連ね、3月以降、新しい「領解文」について「教えの誤解と混乱を招く」と異議を唱える声明を発表してきた。

 現在、勧学と司教は計33人いる。深川勧学が「信仰上問題がある」とも述べた会見は、いわば教学のけん引者の過半数が公然と総局を非難したことになり、会が動画配信サイト「ユーチューブ」で中継した会見映像は、31日までに約1万9000回視聴された。

門主の新しい「領解文」唱和に反発
 真宗門徒が心得るべき信仰上の要点である領解文は、中興の祖・蓮如(1415~99年)の作とされ、宗祖・親鸞(1173~1262年)の著作などの「聖教(しょうぎょう)」に準ずると位置づけられている。長年、得度式や宗祖の遺徳をしのぶ「報恩講」などの法要で唱和されているが、分かりやすい“現代版”を定めようと、光淳門主の消息(手紙)という形で発布。3~5月の宗祖誕生850年などの慶讃(きょうさん)法要では、法要に続いて参拝者一斉の唱和を呼びかけた。

 しかし、唱和などを推し進める総局に対し「強行だ」との反発が広がった。宗派は新しい領解文のポスターを全国1万の寺院に配布したものの、受け取りを拒否して送り返したり、反対意見の文書を送ってきた寺院もあったという。

 定員18人の勧学のうち、5人は門主の諮問に応じて答申したり、門主が出す消息(手紙)に同意したりする「勧学寮」を構成する。有志の会は、勧学寮の同意を得る手続きに瑕疵(かし)があったとも主張。一方、30日のあいさつで石上氏は、勧学寮の現在の寮頭=手続き当時の寮頭は3月31日に辞任=と面会し、勧学寮が同意し、同意書に別添の文案そのままで発布されたことを確認したとし、双方の主張は平行線をたどる。

池田新総長は「ご門主の心に添う」
 新総長は、光淳門主が指名した候補2人に対し、31日に宗会議員の投票が行われ、池田氏が過半数を獲得した(投票総数74票のうち47票)。宗派内の混乱に今後はどう対応するのか。新総長に就任した池田氏は、新しい領解文について「ご門主の心に添うよう、前総局がやってきたことを継承するのが、指名を受けた者の使命。取り下げの手続きは総局にはできない」と記者会見で述べた。

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わが宗門のいろいろが一般の新聞で紹介されました。
とても良いことです。

「領解文」というのは、記事の見出しにもあるように「蓮如作」といわれている文章です。(実際には蓮如さまの作ではなさそうです。)本願寺が東西に分かれる前に出来た文章なので東西本願寺ともけっこう大事にしている文章です。本願寺派(東西の西)では「得度」という僧侶になる研修・儀式のいちばん最後にこの「領解文」を丸暗記した上でご門主の前で得度者全員で絶叫するという謎のような儀式があります。正直わたしそのときはとてもイヤでした。しかしその後いろいろなことがあってそこそこまるくなる中であんまり気にならなくなりました。得度のとき以外ではあんまり読まなくていい文章です。が、ご法話の会の終わった後に読む場合があります。わたしが得度以外で読むのはほぼご法話の後でした。

内容をよくよく吟味すると、個人的には何んか変な感じがする部分があるのも事実でした。しかしながら得度は儀式ですから、なるほど、うちの浄土真宗というのはあんまり宗教じみて感じられないけれど、こういう儀式があるというのはやっぱり宗教だったんだなあ、などと思ったりもしています。

その領解文が今回あたらしくなったようです。理由は、ご門主がおっしゃることを総合すると、若い人、今まで真宗の教えにご縁のなかった方々に真宗の教えがひろまっていくことを願って戦略的なことを考えたうえでの変更と言うことになるようです。

が、いまいち「それ」がよくわからないとわたしには思えていて、とてもコマッテイマス。

違和感とかオカシイだろとかいろいろあるんですが、つらつら箇条書きしますと、

・若い人・知らない人に伝えるなら別に領解文でなくて良いんでないかなあ…… 新しく何かまったく別のものを作文して、それで伝えた方が早いんでないかなあ…… ?
・ってか、この文章の内容って、真宗じゃないですよね? あきらかに従来の言い方はもちろん、内容からもかなり逸脱してるけど、……従来の言い方が通じないから何とかしようと思うのはわかる気がするけど、だからって内容まで変えて「これが新しいqあswでfrtgyふjきおって言っても、かえって誤解を招くんじゃないかなあ……
・なんか、制定の手続き的に「問題はない」と総局(実質的に本願寺派では今いちばんの権威)は言ってるけれど、たしかに手続きの報告に関しては問題がないけれど、手続きの内容と実際の「やりとり」をしっかり詳細に分析すると手続き的な「問題はない」というべきではなく、手続きに「問題はない」と言えるように無理矢理に手続きの周囲を別の問題ありありのやり方でかためているので、かえってかなり深刻に問題なんじゃないかなあ……
・何か問題が起こったときに「手続き的に問題はない」と言い張られる場合って実際にはかなり問題があるってことと同義だと、ここ数十年の日本の政治を見ているといやでもわかってくるんです。同じような感じに、どうしても思えてきてしまうんだよなあ……

みたいな感じです。

はっきり言えばこういうのはスルーすれば良いだけなんだけど、今回ちょっと問題なのは、わたしには問題アリアリに見えてちょっとかなりしんどいその一連の文章をもってきて「全員で100%唱和しよう」って言って来てるんです。

えっ。本気ですか……?

わたし、政府関係のもろもろで「黙祷」って言われてもこっそり「なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、」って言い続けてるんです。ここだけの話ですが。そしてそれを政府のもろもろは容認してくれているんですよね。「100%黙祷しようぜ!100%!」とかわけわからないことは言わないでスルーしてくます、というかわたしがスルーすることをスルーしてくれている。君が代もそう。

そういう配慮っていうのは必要だと思うんです、権威とか権力とか持った人がやる場合って。
なのにそういう配慮をしないっていうのは、ちょっとかなり深刻に問題かなって思います。

内容的な問題というのは、……ぐぐればかなりいっぱい出て来ますが、あえてあらためてお伝えするならば、こういうことかなあ……

・浄土真宗の上で何か「良いことをしよう!」と思ったときは、その人のやりたいようにやれば良いんだけど(しちゃ駄目という理由はどこにもない)、その「良いこと」をする理由を、自分の宗教的な救いの条件をみたすためのモノと位置づけてやるのはナンセンスだ、という大前提があるのに、そこをかなり誤解させる文章になっている。

・浄土真宗の上で、浄土真宗と関わりを持つことによって自分の人間性なり何なりが改善した!と思うことが、ある場合はあるんだけど、その「改善した!」と自分が思ったことを真に受けて「自分は改善したんだよ!」と言うのは、真宗を理解していないということになるんだけど、そしてそれは真宗の共通認識なんだけど、それをうまく誤解させるような文章になっている。

この2点に違和感です。

最初のはわかると思います。二つめがよくわからないかもしれないので説明をこころみます。

真宗では、誤解を恐れつつ言い切ってしまうと、自分の救いの理由を、自分のわけのわからないほどの救われなさ、馬鹿さ、みたいなところに求めます。どんだけ改善しても改善しても、ぜったいに最善にはならない、のみならず、少し「改善した」と思ってもそれは仏の真実性の前では誤差の範囲内の出来事であり問題にならない、だから「わたし改善した!」と思うところにこそ自分のどうしようもなさがある、という考え方をします。

もちろん社会的に何か良いことをしたとか、あの人はバランスの取れた人格者だと言われまくるようになったとか、そういう場合もあるだろうと思います。そして「たしかにわたしは改善している」と思うこともあると思います。しかしながら、その改善は「世間の相対的な基準からみれば」ということだし、「あの時点のわたしよりは」という相対的なものです。対外的なものと言えるかも知れません。しかし宗教的な自覚という面からは「少しずつよくなる」とか「少しずつ悪いところから遠ざる」みたいに言える水準では絶対にないし、「いいや、わたしなんかまだまだです」ということでもない。一切なにも変わっていないわたしがヨロイやパワードスーツをまとって強くなっている感じ、みたいな考え方です。仏と人類との善悪における断絶が、仏がわたしの救いを第一にしている理由なのです。

だから「必ず改善する!」みたいに言ったら、それは真宗的には嘘なんです。ヨロイや武器を手に入れて強くなった、しかしそれらをはいだら元々の強くないわたしがいる。また、言ってみれば、改善されるたんびに自分の現状が変わるから、改善されていない状態に、相対的な(?)ゼロに戻る、みたいな感じでもあると思います。そういうのが真宗の善悪感の根幹みたいな部分にある。だから「真宗のヨロコビをいただいたわたしはちょっとずつだけど良くなります」って言ったら、真宗の前提が共有できていないことになる。外部から見て「あの人真宗になってちょっと良い方に変わったね」と言われることがあったのかもしれないけれどそれを真に受けて真宗的にちょっと良くなってると思い込むのはナンセンス。

なんまんだぶ。ちょっと文章がおかしくなり始めている気がするので、今日はここまでにします。推敲も明日に回したいと思います。(と書いていたとおり、ちょっと推敲しました。あんまり変わらない。)
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「宗教2世」の問題、なんだけど…… [宗教]

“宗教2世”は孤独感強く、抑うつ状態の人の割合が高い傾向 
大学・大学院進学率は19.0% 民間団体の調査
TBS NEWS DIG
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/512848?display=1

「親などが特定の宗教の信者であるいわゆる“宗教2世”は、孤独感が強く、抑うつ状態の人の割合が高い傾向にあることが、民間団体の調査で分かりました。

「社会調査支援機構チキラボ」は、去年11月と今年4月の2回、インターネットのアンケートサイトを通じて、10代から70代の男女あわせて2000人に、“宗教2世”に関する意識調査を行いました。

このうち、自分が「宗教2世である」と答えたのは全体の1%にあたる21人で、それ以外の人との健康状態などを比較しました。

その結果、「中度」以上の抑うつ状態の人の割合は▼全体で17.3%だったのに対して、▼宗教2世では33.3%でした。

また、孤独感の強さについて点数をつけて調べたところ、9点満点中、▼全体だと4.73点だったのに対し、▼宗教2世は5.57点でした。

ほかにも、最終学歴が「大学または大学院」だった人は▼全体で45.0%で、▼宗教2世では19.0%でした。

調査を行った団体は、「宗教2世の当事者は色々な課題を抱えているため、支援も充実させる必要がある」としています。」

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は? 本気で言ってるの?
もし本気だとしたらかなりヤバいと思うけど大丈夫?
みたいなことを思いました。

まず、2000人中自称「宗教2世」が21人なら有意な「調査」にならないと思います。「個別に話を聞きました」という意味での調査ということならそれで良いと思うけど。

そして、「宗教2世」の問題は、新宗教や、カルトではないかという議論のある宗教のみならず、そのへんのお寺とか教会とか、昔「新興宗教」と言われていた宗教なども含んだ、かなり大きな問題です。人権の問題や心の問題、ひょっとすると社会保障の問題なんかも含まれてくるのかも知れない。もちろん「2世」だけではなく「X世」全体の問題です。わたしを含んだ問題です。
 
それをこういうふうに、問題を、そうという意図は恐らくないままに矮小化するような「調査」をして結果を公表してしまう。ひとことでいえば「雑」。雑すぎるんだと思う。問題意識があって何かを目的にしているのだろうと思うし恐らくその方向性は「正しい」のだと思うけど、いろいろ雑なのだと思う。

この「調査」について報じている側にもかなり問題があると思う。せめて「このような調査結果が公表されていますが、宗教2世という言葉の定義や、21人中4人を「19%」とせざるを得ないなど母数が少なすぎること、また、いわゆる「地の文」が偏った立場にあることを自己認識できていないことなど、多くの問題のあることが専門家でなくても容易に指摘可能である「調査」であることに留意が必要です。現在の問題をいちはやく調査するという問題意識と、生きづらさを抱えた人を支援したいという方向性は支持できるだけに残念です。」くらいの注意書きをくっつけて報道してほしい。

うがうが。うが。
 
なんまんだぶ。

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親鸞さま生誕850年ケーキ [記念日系]

2023年5月21日は、親鸞聖人(しんらんさま)がご誕生なさってちょうど850年の日です。(江戸時代に旧暦4月1日(現在の5月21日)が誕生日だと制定されたと聞いています)
IMG_20230521_184445.jpg
それを知っている子どもが「誕生日のお祝いをしよう!ケーキを食べよう!」と言ったので、そして親も祖父も祖母もかねてからお祝いしたいと思っていたので、「それは良い!そうしよう!」と賛同しまくって比較的ご近所の、薪のようなお菓子がそこそこ有名なお菓子屋さんに行ってデコレーションケーキを買ってきて、こういうことになりました。
チョコレートケーキなのは、きっと親鸞さまも当時チョコレートがあったら大好きになっていらっしゃったであろうと推察したというよりもちろん子どもが選んだからなのです。
よくわからない三角帽をかぶってみんなで「しんらんさま」という歌を三番まで歌ってお祝いしてからケーキをいただきました。

ちなみに、うさぎとくまがにこにこ掲げている薪のようなものがこのお菓子屋さんの有名なお菓子です。なんまんだぶ。

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華麗にスルー [法話]

カレーの調理法などに言及しつつのご法話でした。
2023年5月16日 妙法寺 あさまいり



カレーを調理するとき、ルウは細かくしないで入れても溶け方にそんなに変化がないそうです。「まさかそんなことが」と思ってやってみたら本当にそんなに違いはありませんでした。

……というところからのご法話でしたが、ちょっと言い過ぎているかもしれません。
ルウが溶けやすいのは「グツグツ煮えたぎっている状態」ではなく「少し冷めた状態」だそうです。だからカレーの箱の説明に「火を止めて入れる」と書いてあるんですね。
なので、煮えたぎっているところに細かくしたものを入れて溶かそうとするより、少し冷めたところに大きなままドボンと入れて説かすほうがよく溶けるとは言えますが、少し冷めたところに大きいのを入れた場合と細かくして入れた場合とをわたしは比較してませんので、それがどうなるかはちょっとわかりません。
今度やってみようと思います。

また、「火を止めてからルウを入れる」という説明の通りに調理していたのは「ルウには小麦粉が入っているので焦げる恐れがあるから、せめてぜんぶ溶けきってから火を入れた方が焦げる心配が少し減る」程度のことだと思ってのことで、温度が低い方がルウが溶けやすいと知ってのことではありませんでした。

しかしながら、火を止めてからルウを入れた方がカレーが美味しく早く出来るのは体感できています。

ご讃題は

仏智不思議をうたがひて
 罪福信ずる有情は
 宮殿にかならずうまるれば
 胎生のものとときたまふ
 (「正像末和讃」(79))

でした。

以上、疑うことと信じることについて、親鸞さまのご和讃を味わいつつ、カレーの調理法など、いろいろ考えながらのなご法話でした。

サムネイルは何となく「華麗にスルー」としてしまいましたが、内容とあんまり関係なくてすみません。(いちおう「わたしたちの努力をすべて華麗にスルーしてしまう阿弥陀さま」みたいな感じではあると思います。)
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打本厚史師 ご法話 「白骨章」を中心に [法話]

2023年5月9日 妙法寺(音更)常例法座です。
打本厚史師:専証寺(鷹栖町)がご講師です。



ご讃題
「されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。」
蓮如作『御文章』(『おふみ』)5帖16通「白骨章」より

以前から、報恩講・永代経・常例、何度も来られている布教使さんです。

蓮如さまの『白骨の御文章』をご讃題になさって、わたしたちは、わかってるようでわかっていない、わかっているけれどわかっていない、ということを丁寧に味わわせてくださいました。『白骨の御文章』の冒頭には「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。」と、いたってフツーのことが書かれているけれど、わたしたちはフツーのことが実はわかっていない、だから……! という。

ご門徒さまとのふれあいの中での気づき、書籍を通しての気づきなどなど、多岐にわたる話題から、『白骨の御文章』の中心課題をみっちり味わわせてくださいました。

杉紫朗『御文章講話』
鎌田實
杉本健郎『着たかもしれない制服』
そして
高史明

世の中のすべてが、すべての感動や気づきが、阿弥陀如来の救いの確かさに確実につながっている、ということが半ば体感できるご法話でした。

ありがとうございました。
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ピカチュウの目覚まし時計 [本の感想系]

子どもが小学一年生になりました。
妻のお姉さんが『小学一年生』の4月号を送ってくださいました。
付録はピカチュウの目覚まし時計でした。
そんなでっかいもんどうやって雑誌の付録に入れるんだろう?と思ったら、どうやらバラバラ事件の状態で届いて、妻と子どもがにこにこ組み立てていたようです。子どもは毎朝それで起きています。

https://sho.jp/sho1/72146

小学一年生 2023年 4月号 [雑誌]

小学一年生 2023年 4月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2023/02/25
  • メディア: 雑誌
  • (今は定価の3倍くらいの価格)

それは良いんですが、どうやら目覚まし時計は「ぴーか!」とか「ぴかぴか」とか「ピカチュウ!」とか喋ってるらしいのに、わたしには「くーか」「くかくか」「くっかくー!」としか聞こえません。たまに「ぴかぴか」みたく聞こえることもありますがほとんど「くかくか」「くっかくー!」です。

子どもが毎朝にこにこ起きてるので、自分だけ「くかくか」と聞こえてることに気付きました。妻にも「ピッカチュー!」って聞こえてるそうです。最初は「雑誌の付録だからかな」なんて舐めたことを思っていましたが、今は自分の耳の老化を目の当たり……耳の当たり?……にして、さみしいのです。

明日も
「くーか くかくか くっかくー!」で目が覚めることでしょう。
(ぴーか ぴかぴか ぴっかちゅー!)

しくしく。
なんまんだぶ。

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開いて示す [法話]

2023年5月1日の妙法寺(音更)のあさまいりのご法話です。
 

 
「智慧光のちからより
 本師源空あらはれて
 浄土真宗をひらきつつ
 選択本願のべたまふ」
(親鸞作『高僧和讃』「源空讃」より)

を引いて、「親鸞さまには立教開宗の意図はなかった」ということを述べています。
また、法然さまにもやっぱり「あたらしい一宗派を立てよう!」という意図はなかったとも述べています。
 
真宗的には、法然聖人も「浄土宗」という「一宗派を開く」とか「一宗派を立てる」意図はなかった、ただ名前を立てて考え方として独立させた、新しい教えに見えるけれど新しくはない、古くからある経典の中に連綿と受け継がれて来ていた教えを「開いて示した」という捉えです。結果的に立教開宗したけれど、立教開宗の宣言ではなかった、一宗独立の意図はなかった。

しかしながら端から見れば一宗派が立ったようにしか見えなかっただろうし、結果的にまったく新しい宗派が立ったわけだから、何というか。

それまでの仏教の集団と自分の所の集団とを対立させていこうという意図も、もちろんなかったんだろうけど、というか自分の所の集団がそれまでの仏教の人たちから「別の集団」として認識されているという捉え方もなかったんじゃないかと思う。

「そんな意図はありません」という立場。

「そんだけ人を集めておいて何を言ってるんだ」
「いや集まっちゃっただけで集めたつもりはないです」
「一宗派を新しく立てるなんて何てことするんだ」
「いやそんな意図ありません、ただ名前は昔からあったと考えることが出来て…」
「昔からある言葉だったとしても結果的に一宗派を立てて集団化してるんだよ」
「そんなこと言われても困るんです」
「とにかく人が集まらないようにしろ」
「集まっちゃうんです。集まらないようにする方法がわかりません」
「とにかく解散しろ」
的な。

※ 以上、個人の見解です

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浄土宗を立名する

 各宗の教判を広い視野から順次述べて、その後「いまこの浄土宗は」と、宗名をあげて、道緯禅師の聖道門、浄土門の二門判に依ることを明らかにします。法然聖人は、釈尊一代の説教は、浄土門において帰結すると見、これを浄土宗と名づけます。従来の日本仏教に無かった浄土宗の独立を[P.31]
宣言します。この点については、さらに引きつづいて述べる文で、「華厳・天台等の八宗・九宗」(『註釈版聖典(七福篇)』一一八五頁)の宗名があるけれど、新しく「浄土宗」という名を立てるのではなく、すでに元暁の『遊心安楽道』や慈恩(基)や迦才の『浄土論』に「浄土宗」と立名されることを引証します。これは浄土宗という宗名に伝承あることを説き、さらに寓宗的浄土教(他の宗の枠内にあった浄土教)より、浄土宗のみによる救いが示されるのです。
 なおここで言及しておかねぱならぬ問題があります。『選択集』は法然聖人六十六歳の時に完成して一部の弟子に書写されていますが、一般に出版されてはいませんでした。しかし、法然聖人の説く浄土教の主張がどのような内容であったかについては、他の宗派の人びとに折にふれて知られるところであったと言えましょう。法然聖人が七十三歳の時、笠置の貞慶を中心に起草されたと伝えられる「興福寺奏状」の第一に「新宗を立つる失」があげられています。そこには、中古以来、新宗を興すことを聞かず、しかも「弥陀一仏の称名の専修」のみを説くことは排他的であると指摘しています。しかも朝廷の勅許を得ずに新宗を名のるのは過失であるとも述べています。
 しかし今、『選択集』二門章での浄土宗の名のりは、一宗を興し、朝廷の許可を得るような新教団の独立を宣言する意味ではなかったと言えます。あらゆる人びとに開かれた浄土宗の名のりは、一教団の独立を宣言したのではなく、あくまでも弥陀の本願にもとづいた称名専修を説くという、[P.32]
教法の独立を明示したのです。この点は、当時の仏教教団の人びとに充分理解されていなかったと言えましょう。また、法然聖人の吉水の草庵に多くの人びとが集まり、称名一行を専修して浄土に往生していく専修称名のみ教えを喜ばれましたが、それは、新教団を創立して、従来の諸教団に対抗していこうということでなく、法然聖人は、伝統の教団に対して、あらゆる人びとに開かれた仏教のあり方を問われたということでもあります。[P.33]

浅井成海『聖典セミナー 選択本願念仏集』本願寺出版社 より
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ひとり残らず、みんなおっしゃる。2023年4月16日 あさまいり [法話]

2023年4月16日の妙法寺(音更)のあさまいりです。
こないだ子どもが小学校に入学しまして、その関係で先生と話す機会があり、そのときの感想なども含めたご法話になっています。
なんまんだぶ。


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連続無窮 と そのまま と [日記]

『教行信証』の末尾近くに登場する「連続無窮」という言葉と
浄土真宗の救いを端的に現す「そのままの救い」という言葉の指し示す内容について、
丁寧に、丁寧に、わかりやすく、かつ、ありたがく味わってくださいました。

婦人会の報恩講・物故者追悼法要を兼ねた1座2席のご法話でした。


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