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いろいろ。 [生命学]

今日は少しいろいろありました。

朝、姉の夫・義兄が亡くなりました。
長い間、病気療養中でした。
だから、わかっていたから寂しくないかというと、
そんなこともありません。
ただ、涙は出てこないので、わたしは相当に薄情かもだなあ、
とは思っています。日記も書けるし。

人間ドックもありました。

その知らせを聞いて、そのまま行って、
もろもろの検診が終わってから、
結果を聞かせてもらうまで、何時間もあったので、
その間にお悔やみに行きました。
なんというか、
「ごくろうさまでした」というより
「ありがとうございました」という感じでした。
だって、甥や姪に会うことができた。
これはすごいことだと思う。

あんたよく来てくれたねえと言われたので
「わたしいま人間ドックなんです、合間なんです」って言ったら
ちょっと場が「ほわん」とゆるんだ気がしました。
まったく、思いもよらない話題というかなんというか。
場違いな話は、外すか、受けるか、かもです。

わたしが寄った時ちょうど葬儀屋さんが来られてました。
対応を見させていただいて、
うわあ、丁寧だなあ、こまやかだなあ、って思いました。

家族はばたばたしがちな時間帯なのかなと思うけど、
落ち着いた雰囲気ができて、きちん、きちんと、大事なところを説明して、
質問にもきちんと答えて、
家族が意見というか、ああ、こんな、こんなだよねえ、
という話をするのもきちんと聞いて、それから、
それはこうこうなんですよ、って、受けて、答えて、まわっていく。
すごいなあと思いました。

‥‥わたしだったら、何か良さげな内容をたとえ言ったとしても
絶対にカドが立つような言い方になるし、
大事なことをひょっとするともしかして言ったとしても
全然、まったく印象に残らないような言い方をしていることばかり。
その完全に逆な感じなので、すごいなあ!と思いました。
学ぶところが多い。というか、ばかり。

で、そして病院に戻って、結果を聞きました。

ほぼすべて正常値の範囲でした。おおお!

マチの検診でちょっとまずい値が出ていたところも改善されていたし、
なんせ、身長は伸びませんが、体重が減ったのよ!
面接でも「減量に取り組んでおられて結果が出ているのは素晴らしいと思います♪」
と言われましたから、なんか今後も頑張っていこうかなと。

にんげん、ごはんとアルコールを減らせばやせるんですね。
いま身を以て初めて知っております。

人間ドックの待ち時間には、この本を読んでました。
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野崎泰伸『生を肯定する倫理へ』白澤社
【密林】http://www.amazon.co.jp/dp/4768479391
【bk1】http://www.bk1.jp/product/03430491

最近はラノベか、よくて『終わらざる夏』とか、
骨太な評論や哲学や思想はまったく読んでなかったので、
あたまがなかなかこっちに向いていきませんが、
これは、すごい本だと思います。

アマゾンのレビューでは哲学書じゃないと言われてます。
でもわたしはこの本が哲学書であることを知っています。
生命学は哲学であり、なおかつ生き方であり、学問でもある。
哲学がなぜ問うのかを無条件に肯定して問いを行う、
それと同様に、生の無条件の肯定が先取りされていても、
それは本書が哲学書であることを無条件に否定するものではないだろう。
なーんて難しそうなことを言ってみたりする。
ただ、立岩氏みたいな書き方がいろいろ随所にあって、難しいですよぅ。

あとですね。綿矢りさの書き下ろし小説を立ち読みしました。
姉のとこにお悔やみに行って、病院に帰ってきて、
それから道東唯一のデパートにてくてく歩いて、書店に入り、
『文藝』という雑誌で綿矢りさ特集が組まれているのを立ち読んだら、
なんと!!!書き下ろし小説が掲載されているではないか!!!!
http://www.kawade.co.jp/np/bungei.html
ありえへん!わお!
長かったら買おうと思ったんだけど短編の長さなので、
迷わず立ち読んでしまいました。
(スミマセン。また何か買うので許してください。)
『憤死』という小説でした。
いい!いいよ!綿矢氏!とても良い!ありがとう!

そして、九州から誕生日プレゼントが届きました。
三日フライングだけど開けちゃった!
2011082216160000-1.jpg
ありがとう!おさいふも嬉しいけど、こりゃカードがメインだよ!
!(≧▽≦)!わお! にゃきゃー!

‥‥‥で、結婚式のハガキが返って来てない人に、
そろり、そろりと、電話をし始めました。
でも、あんまり連絡がつきません。たぶん投函して安心して、旅行?
だからまだ来てない?
それとも、今日って何かあったのかな?と思うくらいです。
だから、明日あたり、またかけてみます。

という、今日はそんな感じの日でした。

なもなも。
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完全に違法。 [生命学]

腎臓売買容疑で医師逮捕へ 養子縁組で親族間移植装う
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062201001247.html

 腎不全を患った東京都内の医師(55)が元暴力団組員と虚偽の養子縁組をして、親族間の生体腎移植を装い、1千万円を支払って腎臓の提供を受けようとしたとして、警視庁組織犯罪対策4課は22日、臓器移植法違反(臓器売買の禁止)などの疑いで、医師と仲介役の組員(50)ら5人の逮捕状を請求した。同日中にも逮捕する。

 移植をめぐる国内の臓器売買事件としては、2006年の宇和島徳洲会病院(愛媛県)の例があるが、医師と暴力団の関与の疑いが明らかになったのは初めて。

 移植医療への信頼を根幹から揺るがす事態に発展するのは必至だ。
2011/06/23 11:35 【共同通信】

以前からずっと指摘のあったものがやっとオモテに出てきただけだと思う。
タイミング的に何か必然性があるのだろうか。それとも、もう隠せないからか。


めちゃくちゃ長いけど続きを読んでみむとする


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キヴォーキアン博士、死去。 [生命学]

キヴォーキアン博士が亡くなられたそうです。

末期病患者の自殺装置を開発した”ドクター・デス”こと、ジャック・ケヴォーキアンが死去!
http://www.cinematoday.jp/page/N0032826
2011年6月4日 7時00分

 [シネマトゥデイ映画ニュース] アメリカの病理学者で、末期病患者の積極的安楽死のために自殺装置を開発した”ドクター・デス”こと、ジャック・ケヴォーキアンがミシガン州にあるボーモント病院で肺血栓塞栓症で亡くなったことがガーディアン紙によって明らかになった。

 ジャック・ケヴォーキアンは、1928年ミシガン州でアルメニア移民の子として生まれ、ミシガン大学を卒業後にデトロイトの病院で病理担当医師として活動し始めた。その後、安楽死の研究を開始して、数々のカウンセリングの経てたうえで末期病患者の自殺幇助のための自殺装置を開発。1990~1999年の間におよそ130人もの末期病患者の自殺幇助を行った。

 だが、1998年の11月にCBSの番組「60ミニッツ」で自殺装置で死亡させたことを記録したテープが放送され、アメリカ中で物議を醸し出した。これがもとで、放映直後に第一級殺人罪(後に第2級殺人罪に変更)で告訴され、結果10~25の不定期刑とする有罪判決が下り、2007年に仮釈放されるまで刑務所に収監されていた。

 ちなみに、2010年には『レインマン』のバリー・レヴィンソン監督が、アル・パチーノ主演でケヴォーキアンの半生を描いた映画『死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実』を制作し、チャンネルHBOで放送された。 かなり世間を騒がせた人物ではあるが、ご冥福をお祈りしたい。 (細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

(最後の一言が余計だ。キリスト教徒だったら冥土になど絶対に行かないぞ。)

北海道新聞のテレビ欄のウラにも同じニュースが出てました。
わたしにはリアル・ドクター・キリコのイメージです。
いろんなことを考えさせてくれた方です。かつて書いた論文にも登場しました。

「「脳死」臓器移植入門 生命倫理学の前線」
(『真宗研究会紀要』第33号 2001年3月)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/chishu/ronron/kiyo/kiyo.html
(三の2.「自己決定[権]」に出てきます)

10年前のわたしもいろいろ頑張ってるが、でも、これはエッセイであって論文ではないなあ。(^_^;)

パターナリズムと自己決定を部分否定した上で何かを言おうとして、でも明確には言えなかったようだ。というか、たぶん本来は別々に論じるべき「自己決定」と「自己決定権」とを面倒くさがって(自分の論理に自信がなくて)論じてないところとか、不徹底きわまりないと思う。

ともかくいろいろなことを投げかけてくれた方です。

安楽死・尊厳死についてはその後出た

中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか』岩波新書 2007年9月
http://www.bk1.jp/product/02922736

が問題を引き継いで考えてくれていると思います。

なお、註に出てくる「ハードウィッグ」という人は「死の義務」を言う人です。(三の2.の直後、三の3.「死の義務」に(わたしなりの)紹介が出てきます。端折りすぎな気がします。)

伝道院で学んでいたとき、「脳死臓器移植」というタイトルで全然違う内容の講義をされてすごくがっかりさせられたことがあるんですけども、そのとき「講師」だった臓器移植の非専門家が細胞について3時間語りまくって、最後の方で「アポトーシス」から臓器移植を語っていました。

個人的には反吐が出そうな非論理な感情論でしたが、アレの原形がココにあるのかもしれない、というか、アポトーシスで人間社会の死を語ろうとするところからハードウィッグの「論理」が出てきてるのかもしれない。

そのときの「講師」の人いわく、「死ぬべき人が死ぬことで他の人が生きる」。まさに医殺であり死の義務の非論理であったなあと思います。

それにしても、そのアル・パチーノのテレビドラマは見てみたいです。ただ、まあ、どんなもんなのか、大変に不安です。

では。

イカ、その論文の部分引用でゲソ。

続き(論文の該当部分)を読む


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打本さんの追悼文。 [生命学]

 一昨年の7月にご往生なさった打本顕真さんの追悼文集が出るそうです。
 わたしも書かせていただきました。
 以下、年号等の漢数字をインド数字にした以外はそのまま。
 文集はまだ出てませんが、
 学術雑誌や営利書籍じゃないから良いんじゃないかと思います。

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 修士論文『真宗と現代・融合と乖離』を提出後、龍大の博士課程に進学、棚原正智氏と共同で脳死臓器移植と生命倫理に関するアンケートをインターネット上で採っていた2000年。脳死臓器移植に大峯顕先生が「賛成」、信楽峻麿先生が「反対」を表明されてしばらく経っていた頃であり、また1997年には「臓器移植法」が成立したこともあってか、本願寺派の多くの僧侶や学生の興味は「脳死」や臓器移植そのものの是非よりも、本願寺派当局が公式見解を出すべきか出さざるべきか等に移っていた。

 しかし、立花隆の『脳死』三部作や森岡正博『脳死の人』、小松美彦『死は共鳴する』等を読了した私には、本願寺派内の各論者が「脳死」そのものを医学や生物学、社会学的な見地から正しく理解せぬまま、「脳死」という言葉の鮮烈すぎるイメージだけで「賛成」「反対」を表明しているという事実こそが問題であるように思えていた。(植物状態と脳死との区別も付かぬ者が脳死を論じてしまう、これも大変な問題なのであった。)

 そのようなもどかしさの中で出会ったのが、打本顕真さんも執筆なさっている『共にあゆむ』42号であった。

 まさに私の危惧が、私のそれより遙かに簡潔で遙かに解りやすい文章で、本願寺の公式サイトに載っていたのである。

 驚喜した私は、打本顕真さんに、私と同じ見解を持つ人が本願寺派内しかも北海道にいたことを大変に心強く思ったという、今思えば失礼な内容のメッセージを添えて、アンケートの回答を依頼した。

 棚原氏と採ったそのアンケートの結果を整理して印仏研で発表したのが、(一応の)研究者としての私の出発点となった。

 その後も打本顕真さんからはいろいろなことを教えていただいた。ご往生というご縁にあたっても大変なことを教えていただいた。

 ありがとうございました。寂しいです。

(『共にあゆむ』42号の一部は
 http://www.akinet.ne.jp/saikouji/P003.HTM で読める)

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 以上。
 2009年7月18日の日記
 http://chishu.blog.so-net.ne.jp/2009-07-18 も参考にしつつ。

 ではではでは。
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結婚しますよ。(念押し) [生命学]

 昨日ホテルに行って結婚式場の「仮おさえ」を「本おさえ」に更新しました。そして日程的な話もきちんと聞いてきました。6月下旬の、ちょうど彼女の誕生日あたりから準備が本格的に始動で、その前に式や披露宴に来てもらう方の名簿の準備を開始しなければならないようです。

 しかし、なにぶん、結婚式も披露宴も一度もしたことがないせいもあってか、よくわかりません。

 今後ますます、わかってそうな人にいろいろ質問したり相談したりすると思います。なるべく教えてください。

 実質の「仲人」と言ってもいい、2人を会わせてくれた友だちがこの2月に結婚したばかりで、きっとまだ覚えてると思うので、結納のこと、式や披露宴、その前段階の準備のことなど、北海道と九州でいろいろ違いはあるだろうけど、まずは彼に聞けたら聞いてみようと思ってます。

 ホテルの人との話し合いの中で「アナウンサの友だちが司会をしてくれる、‥‥はず!」と言って具体的な名前を出したら、担当の方はご存知でした。おお。「BSで将棋の名人戦?の中継をなさってましたよね?」おおお! 本人はそれがいちばんの思い出というかすごく貴重な経験が出来てよかった!って書いてましたよ!とか、「優しい声ですよね」とか、良い感じであります。

 しかし、東日本大震災の影響で、ホテルもしんどい状況にあるようです。今日も駐車場がすごく空いてた。今は北海道観光はオフシーズンみたいなところもちょっとありますけどね。でも本当に大変そうだなあと思いました。

 回せるところは回していかないと、って思います。

 ということで、昨日の日記はホントのことだったのです。
 やっと key に少しだけ追いつけた気がします。

 ではでは。

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結婚します。 [生命学]

 まったくの私事で恐縮ですが、今年の10月1日に結婚することにしました。

 相手は二次元の方ではありません。ホントです。きちんと「三次元が四次元的にねじれたこの世界」の中の実際の人間の女性です。(事実をきちんと述べているだけなのに何んか失礼な言い方をしているような気がしてくるのが不思議です。)少しプライベートに踏み込むと、佐賀の浄土真宗本願寺派のお寺の娘さんです。

 何で知り合ったかと言うと、友だちの紹介です。友だちの従妹。

 7月に安居で一緒に勉強した熊本の友だちから、9月のいつだったかにケータイにメールが来て、「石田さん、わたしの従妹とお見合いしませんか?」って書かれてました。ああ、友だちの、‥‥従妹ってことは、‥‥うまくいかなかったらややこしくなるのかなあ? と不安になったけど、一応なんでもご縁は大切にしなければならないよなあ、今まで一体何人の方がわたしのためにこういう「であい」をセッティングしてくれたことだろう、今まで一体何人の優しい方々の思いをわたしはいただいてきたことだろう、今まで一体いくつのご縁がうまくいかなかったのだろう、‥‥でも、ともかく、ご縁は、何であれ、そのままいただくのが良いのですよ、などなど思い、それはもう切実に思い、「ぜひしますさせてください」?まで切羽詰まってはいない内容の、たぶん「ハイ、します」くらいの返信をしました。

 で、相手は佐賀の人。わたしは北海道の人。いつどこでどのように会うのか。これは大問題だ。

 と思っていたら、ちょうど11月初旬に京都で龍大の学会が催されることになっていたので、ソレに行くことにして、二人で京都で会うことにしました。11月8日の夕方に、セッティングしてくれた友だちと3人で京都駅のそばでお茶して、「じゃあ後は二人で!」って言われてその後は二人でやっぱり友だちのセッティングしてくれた、京都駅の上にある、コ洒落た、わたし初めて入るようなお店でごはん。おいしくてたのしい食事&ワイン。かわいい彼女。お互いに何を言っても不思議と・きちんとかみ合う会話。‥‥これを中島みゆきは『糸』と歌っているのである。

 決定。( ^_^)/□☆□\(^_^ )

 いやー、自分でも驚いた。

 9日のおあさじで本山で再会して、じゃあまたと言って、ダミー的に利用(活用)した学会にもきちんと出て、10日にうちに帰ってきて、「結婚する方向で行こうということに二人でなりました」と親に報告したら二人とも

 「ぽかーん(・_・)(・_・)」

としてたのがすごく印象的でありました。「今までいろんな方がセッティングしてくれて、ことごとくダメだったのに、何で今回は良いってことになったのだろう?」

 いやわたしにもわかりません。とにかく結婚する方向で行きます。

 ‥‥いま思えば、お寺というか、ご信心系の話がきちんと出来るのが大きかったのかもしれないと思います。わたしはわたしが思っていたよりも自分の結婚について「お寺」「信心」つまり「宗教」というものを重視していたようです。そのことがやっと自覚されました。

 40年弱の人生において、今まで誰を好きになっても、誰と付き合っても、まあ「結婚」という文字がちらつく前にたいていの方はわたしの不甲斐なさに気付いて離れていったわけだけど、そこまで行かなかった原因の一つは、わたしが何を重視しているかをわたし自身が気付いていなかったということだったのかもしれないと、今は思っています。(しかし大部分は性格だろう間違いなく。)

 そして初めて会った11月8日以降、彼女とは毎日メールのやりとりが続く。軽い話ばかり。やがて彼女がメールで聞く。

 「わたしたち本当に結婚するんですよね?」

 ちょっとあわてるわたし。結婚する気は満々である。どういう会話をすれば良いのかよくわかってないけど。でも結婚する気持ちは充ち満ちて溢れんばかりである。だがそれはメールの何気ない会話の言葉だけでは伝わっていかないのである。言わなければならない。だからメールで言った。しかしこれはメールで言うだけではいけないのではないか。リアルで会わなければならない。これが世の「オフ会」の始まりである。違う。

 日程を確認すると‥‥11月29~30日と青年布教使の研修会が札幌で開催されるのでわたし参加する予定だったのだけど、この2日間を振り向けて・利用して、佐賀に出かけた。初めて会う彼女のお父上。わたし「お嬢さんをわたしにください!」くらい言うのかと思ったら言う気配がない。というより「ホントにうちの娘で良いのですか?」という、まるで中仏の入学試験の時の筆記試験後の面接試験で「住むところは決まりましたか?」と聞かれた、あのノリにちょっと近い話になっていく。違います。「で良い」じゃありません、「でなきゃダメ」なのです。

 そしてどうやら本当にますます決定。( ^_^)/□☆□\(^_^ )

 いつ北海道に様子を見に来ますか? 北海道って寒いんですけど、そうですね、2月がいちばん寒いです、そうそう2月には「温泉説法」というイベントがあります、僧侶が中心になって温泉で朗読劇や演劇で「説法」するなかなかすごい催しなんですよ、的な話をしたら「それ面白そう!」という話になって彼女とお母さんが参加されることになる。「じゃあ温泉説法が終わったらそのバスでうちにも来ていただいて、いろんな話を詰めていきましょうね」という感じになる。

 2月20日~21日、温泉説法。そこでうちの母親と彼女と彼女の母親が同部屋になって3人で語り合う。そして22日にうちに来て、然別湖コタンに行ったり、ごはんを食べたりして、二人は帰って行きました。

 決定。( ^_^)/□☆□\(^_^ ) ←いまココ。

 結納が5月末とまだまだ先なので、本当にうまくいくのかどうかわたしにもよくはわかりませんが、とにかく、そんな感じで、結婚することにしました。

 10月1日に、お寺で式をして、帯広のホテルで披露宴の予定です。

 という報告でした。

 ご門徒さんのおばちゃんで、月忌参りにいくたび「いいひと出来たかい!?」って聞いてくれるおばちゃんがいます。結婚することにした後で、家族以外ではいちばん最初に報告したんだけど、「あらホント」って、すごく軽~い反応をいただいて何んかショックでした。心配事でもあったのかな。‥‥こないだは永代経さんに元気にお参りでした。よかった。

 ということで、十勝管内の真宗のお寺の方々や、温泉説法で一緒だった北海道の各お寺の僧侶の方々や、温泉説法の様子を見に来た山口の友だちや、お寺のご門徒さん方には報告しました。友だち関係への発表はぼちぼちというところです。これから本格化します。

 大学の後輩で現役アナウンサがいるので披露宴の司会を頼みたいなと思い、連絡先を東京の友だちに聞いて「そうそう俺結婚するんだ、その司会を頼もうと思って」って言ったら「おまえソレ言う順番が逆だぞ。先に結婚することを言って、それから「○ちゃんの連絡先は?」って聞くのがフツウだろう。まあお前に社会性なんて欠片もないから仕方ないか‥‥」と危ぶまれたりもしています。

 ということで、本当にどうやらわたしは結婚するようです。

 なお、言うまでもありませんがあえて言いますと、今日は4月1日です。いろんな方がいろいろアタマを絞っていろんなウソを言う日のようですから、どうぞお気を付けくださいね。

 ではでは。

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私たちができること 香山リカさん寄稿 道新 [生命学]

イカ、道新サイトからのコピペでゲソ。

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私たちができること  香山リカさん寄稿
「あなたの力が必要」その日のために
(北海道新聞 3月16日 p.14)
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/saigai_dekirukoto/
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「あなたの力が必要」その日のために

 東日本大震災の発生を受けて、本紙生活面でコラム「ひとつ言わせて」を連載している精神科医の香山リカさんに、「私たちができること」と題して一文を寄せてもらった。

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 これを読んでいるあなたは、とりあえず今は安全な場所にいるのだろうか。

 だとしたら、どういう状況であるかにかかわらず、まずは「私は、大丈夫」と自分に声をかけ、安心させてあげてほしい。

 もちろん、親族や友人と連絡が取れなかったり避難所や病院にいると聞かされたりして、「とても、自分を安心させるなんて無理だ」と思う人もいるだろう。懸命の救援活動の映像を見ながら、「自分のことなんて、今はとても考えられない」と憤りにも似た気持ちを抱く人もいるかもしれない。

 それでも私は、「まず自分を励まして」と言いたいのだ。

 日本を襲った未曽有の大惨事。今はこの国に住むほとんどの人たちが、この大災害に関する情報、そしておびただしい映像に連日、接し、これまでとは違った毎日を送っている。たとえ直接、大きな揺れを感じたり津波を目撃したりしていない人でも、かなりリアルな「疑似体験」をしていると言っていい。

 そうなると、私たちの心は、被災地にいる人にも匹敵するような大きなダメージを受ける。そこには心の傷、つまりトラウマも発生する。実際、テレビの映像だけから深刻なトラウマ後遺症が発症した例が、アメリカの同時多発テロの後、いくつも報告されている。

 眠れない。不安で胸がザワザワする。気持ちが落ち込んで無気力になる。逆に、「何かしたい」と思い、目的もないまま動きまわってしまう。人と話していてもやたらとイライラする。これらは、すでに心が深刻な傷を受けていることを意味している。

 被災地で実際に大きな打撃を受けた人が無数にいるのに、そこから離れた場所にいる人までが、トラウマで心身を病んでしまったらどうなるだろう。助けの手を差しのべるべき立場にいる人が、心のケアを必要とするようになる、といった事態は、何としても避けなくてはならない。

 これからは、日本中がお互いを支え合い、励まし合って、立ち直っていかなくてはならないのだ。そのためにも、まずすべきことは、自分で自分を守ること。そうできる人は、ゆっくり体を休め、食事をきちん取り、お風呂に入って体をあたためる。「被災地の人に申し訳ない」と思う気持ちもわかるが、そうやって自分を維持することが直接、被災していない人の義務だと思う。

 「あなたの力が必要」と言われるその日に備え、自分の生活と健康を守る。それが今、私たちにできる最大限のことなのではないだろうか。
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以上、
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/saigai_dekirukoto/
に公開されてる内容のままです。
リンクが切れるかも知れないので、コピペしました。

なんというか、香山氏もだけど、道新も本当にありがとう。(>_<。)。

先日の日記で書いた「香山リカ氏のエッセイ」というのはコレでした。自分にできることって案外少ないけど、元気でいなきゃならないわたしまでが元気をなくしてちゃ、いけないよ?ね? って言ってくれてるように思います。

力を蓄えておくのも「やれること」の一つではある。
そしてわたしの場合は、今は、
額としてはたいしたもんではないがそれでもお金で力になれるはず。
しっかりやっていこう。

(マイカテゴリー、「生命学」にしておきました。)
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友人の紹介してくれたブログ。ガン。 [生命学]

獲信 ガンとオレとネンブツ
http://ameblo.jp/saishoji30/

友だちがmixiでつぶやいてて知りました。

浄土真宗の僧侶(派は不明)が全身転移のガンの告知を受けてから始めたブログらしいです。(わたしくらいの歳?もっと若いかも?)
【2010年12月11日 8:35頃追記:11/26の日記に「28歳」とありました。スミマセン。】

ガンとオレは出てきてますが、ネンブツは出てきてないような気がします。

「獲信」のとらえ方も、わたしとはちょっと違うようです。

が、ともかく、過渡期の人が書く文章です。わたしはたぶん怖いもの見たさの興味本位だけからかもしれませんが、ともかく追いかけて読んでみます。

がんばれとは言いません。ブログにはまだうまく書き込めないんですが、いま書き込めそうに思うのは一言「読んでますよ!」だけです。でもそれもなんか違う気がするので、書き込まず、今はROMです。

講演会に行ってきた。 [生命学]

 帯広駅のそばにある「とかちプラザ」で開催された講演会に行ってきました。

 正式なタイトルと会場を覚えてなかったので、総合案内で聞きました。

 「自死関連の講演会はどこですか?」
 「地震? 地震‥‥」バインダーぱらぱら
 「地震じゃなく自死です、自死。」
 「ジシ?ジシン??」
 「あっ。(マスクしてることに気付く。聞き取りづらいらしい)
  スミマセン。自殺関係の‥‥」
 「あっ。スミマセン。二階の視聴覚室です。」

 ちなみに講演会のタイトルは「自殺対策講演会」。
 サブタイは「自死をとりまく問題にどう向きあうか ~私たちにできること~」
でした。
(タイトルだめだめだと思います。サブタイをタイトルにすべきだと確信してしまうくらいタイトルだめだめです。)

 講演は、東京で自死の問題に取り組んでる方でした。「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表、藤澤克己氏。
 (http://homepage3.nifty.com/bouzsanga/

 十勝総合振興局技監という方が最初に挨拶をされて、‥‥ダメダメでした。「自殺」「自殺」って言いまくり。あまつさえ「今日の講演の先生は「自殺」じゃなく「自死」という言葉を用いていらっしゃいますね?」的な言葉を吐かれる。こりゃ何も事前準備をしてないことがまるわかりです。良く言えば飾らない方です。ひょっとすると大きく化けるかもしれません。

 ‥‥でも司会の方はわかっていらっしゃいました。というか誰かが真剣に望んで呼ばないと藤澤氏は来ないわけで、技監が呼んだわけじゃなく、司会の方も含まれてるのか、とにかく裏方の方がしっかり考えて呼ばれたようで、挨拶にならない挨拶以外はとても良かったです。

 パワーポイントを効果的に用いての講演でした。パワポまんまのレジュメもくださって、メモもとてもしやすかったです。

 どうすれば「寄り添う」ことができるのか、ということなんだけど、最初に大事なのは「どうすれば傷つけずに寄り添えるか」または「どうすればそばにいても嫌がられないか」なので、そこに最重点が置かれてた気がします。そして、それを重々わかってから始めましょう、みたいな感じに思えました。

 自死念慮者と遺族、一方がいちばん待っている言葉が、もう一方がいちばん遠ざけたい言葉である、そういうこともあると思うので、なんせ「たった一つの冴えたやり方」みたいなのが「無い」のが自死の周囲にある問題のややこしいところだと思います。

 でも両方に必要なのが何かは明らかだと思う。それはつまり「よりそわれること」「うけいれられること」。そしてそれは同じような場所から始めることができる。すなわち「きくこと」「よりそうこと」。

 相手のペースに任せてこちらの意見を押しつけない。こちらの思いは伝えるがそれは相手の思いをしっかり受け取ってあまりある状況が出来てから。

 念慮者・遺族、双方に寄り添うためのマニュアル的なものがもしあるとしたら↑これ↑だけだなあと思いました。

 質疑応答も、(一つ変なのがありましたが、そういう意味でも、)三つともすごく考えさせられました。

 去年の安居で、自死の周辺の問題をみんなで考えたとき、人に何か教えなきゃ駄目な気がしてしまう(坊さんのような)者が特にどうしても陥りがちな「自死は良いこと?悪いこと?」という、本当はどうでも良い問題について考えて、わたしは「それはどうでも良い」と言い、ある方は「お釈迦さまだったら無記で応えただろう」とおっしゃって、それを受けつつ中村元の経験からくる回答も紹介されて、ひとしきり「結論はない」的なのが結論みたいになって終わったあとで、ある先生が個人的にこう言ってくださった。

 自死は、良いことでも悪いことでもなく、悲しいことです。
 阿弥陀さまはきっとそうおっしゃるんじゃないでしょうか。
(取意)

 悲しいから悪いってことじゃなく。まず悲しまれるんじゃないか、っていうことだと思います。

 これは、答えの内容よりも、先生がこういうふうにおっしゃる態度、それを伝えようとしてくれる態度、そして先生がこう言わざるを得ないというか、先生がこうおっしゃりたくておっしゃった、その事実に感動した覚えがあります。

 「良い悪いは考えちゃダメなんだ!」と言ってるだけのわたしとは出発点が全然ちがう。

 そういうのもいろいろ思い出しながら、じわじわしてました。

 藤澤先生、サンマーク出版の文庫本、『自殺って言えなかった。』を勧めておられました。自死遺児の手記の集大成です。すばらしい本です。

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 わたしは生き方からしておこがましさ満点な、はっきり言ってアホなんですが、だからこの本を読んだときも、自死遺族の本を読んで、彼らに寄り添うためにどうすれば良いかを知るために、つまりどっちかというと完全に「上から目線」で読み始めたんですけど、‥‥それがまったくアホな試みであることに気付かせてもらった本です。

 強い者とか弱い者とか、そんなもんないんだと思うんです。もちろん自死なさった方の遺族や友人、恋人には誰かが寄り添わなければなりません。それはそうなんだけど、それは弱者に強者が寄り添って「あげる」的なものでは全然ないということです。それは絶対的な関係性ではない。必要とされている援助がなされるのは、上から下へではなく、むしろ、ごく当然なことなのだと思わされました。そして、むかし誰かから寄り添ってもらって力をもらい、今なんとかなってる人は、今こまってる誰かに寄り添う側になれば良い、ということなんだと思いました。

 最後、(聞いてるときはわからなかったけど、)先生、そういう感じでまとめて帰っていかれた気がします。たすけてもらったからと言って助けてくれた方に恩返ししなければならないってことでもないと思う、って。誰かに助けてもらった人は、余裕が出来てきたら誰かを助ければ良いでしょう、って。ビハーラ(仏教ホスピスのようなもの)を例にあげて説明なさったのもわかりやすかったです。

 はい。

 とにかく、わたしには最高に良い講演会でした。聞けて良かったです。

 聴衆の僧侶率が高くてちょっとアレでした(笑)。知り合いの多いこと。だから、つまり今日はみんなで共有できたわけだから、何か新しい展開ができるかもしれない?とも思いました。

 ただ、先生も危惧しておられるように、坊さんって誰よりも自死に関して「命を粗末にして!」的ないちばん間違った受け取りを大声で他人に言っちゃいそうな人たちなので、そのへん、ちょっと注意は必要だと思います。

 でも、そういうマチガイがあるとしても、それを乗り越えて、何かできそうな気もしてます。

 はい。今日はここまでです。

 ではでは。

自殺って言えなかった。 (サンマーク文庫)

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岩波ブックレット『いのちの選択』、おすすめです。 [生命学]

■家族承諾の脳死判定7例目…関東甲信越地方で
(読売新聞 - 09月06日 11:46)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100906-OYT1T00534.htm

臓器移植について考えるために良い本が出ています。『いのちの選択』岩波ブックレットです。全75ページ。600円+税。超おすすめです。

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